「バカとつき合うな」と言われても、「バカとつき合わない」なんてできないよ、だって社会の中で生きてるんだもん。と、いつまでもバカで居続けようとするヤツが、最もバカだと気づいた。

わたくし、かなりのバカたちに、別れを告げました。いや、告げてみました。

すると、どうだろう。日々のストレスがほとんどと言っていいくらい消え去り、今日は肌寒いだの、今日は暖かいだのと、どうやら感覚を取り戻せたみたいで。これって他人の時間を生きていた自分が、自分自身の時間を生きはじめたんだよねと、空を見上げてみたり、本日も晴天なり。

社会の中にいると、矛盾を感じることも多い。理不尽に思うことも多い。泣き寝入りすることだって多いだろう。それらすべてを、バカの仕業だと考えてみる。バカの発言は基本的にバカなので、突き詰めてみると、そこには大した理由も正義もない。

じゃあ答えは、ひとつ。そいつを切ってしまおう。

でも、多くの人はこう言う。「たとえ相手がバカだと理解していても、うまく付き合わなきゃ、人間関係にヒビが入るし、仕事だってもらえなくなる。生活に支障が出てしまう……」、と。

でも、こう考えてみた。

バカを切ったことによって入ったヒビが生活に支障をきたしたり、バカを切ることによって仕事が減って生活ができなくなったり。それって、バカに依存して生きている人生だよねって。そもそも、バカありきの人生を送っているよねって。

それなのに、バカにストレスを溜めてしまっている。これ、無限ループじゃね?

バカを切ったくらいで生活に支障をきたさないためには、そんなヤツに依存しなくても生きていけるスキルだったり周りからの信用を得る必要がある。でも、バカに時間や感情を奪われ、精神的に疲弊してしまっていては、「脱・バカ」に踏み出せない。またしても無限ループ。

で、本著を読んで僕は決意してみました。
後のことはどうなってもいいから、この無限ループから抜け出してみよう。

で、やってみたところ、さすがのバカたちは、あれやこれや攻撃を仕掛けてきたものの、今回ばかりは決意の重さが違う。バカに迎合せず、NOしか言わないスタンスを取り続けた結果、

本日も晴天なり。


バカとつき合うな
バカとつき合うな
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堀江貴文 西野亮廣
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善意のバカは本当にタチが悪い。バカにもいろいろあるけど、自分がいいことをしていると信じて疑ってないから、なにを言っても耳を貸さない。つまり、バカの中でも止めようのないバカという意味で最悪です。(西野亮廣 本文より)

我慢を美化してしまうケースは、世の中にたくさんある。嫌な上司に付き合うのも、これは我慢だから、社会人としての成長になるんだ、とかね。つまり、バカと付き合うのもいいこと、というとんでもない考え方をしはじめる。(堀江貴文 本文より)

本作、堀江貴文と西野亮廣の共著。お互いが交互に「バカ」を出し合い、バカとつき合わないための指南を述べていくスタイル。

『バカばっかりの環境に居続けるバカ』だったり、『我慢を美徳にしたがるバカ』だったり、『機械の代わりを進んでやるバカ』だとか、『無自覚に人の時間を奪うバカ』といったように、思い浮かべれば身近にたくさん存在する「バカ」について言及している。

本著で指南されていることは、学校の授業なんかよりもよっぽど価値があると思う。できるだけ若い年齢の頃から本著の概念を正しく伝え、社会に出るタイミングでは「バカ」が浄化された状態でデビューしてもらいたいもんだ。

だって、「自分がされて嫌な気持ちになることは、他人にやっちゃいけません!」なんて教育、おかしいよね。だって、他人が嫌がることを平気でやれちゃうヤツって、「これって、自分がされたら嫌な気持ちになるかな?」とか、想像すらできないバカだし。

メールやLINEなど非同期通信が主流のこの時代に、電話をガンガン鳴らしてくるバカの心理は、「電話のほうがやり取りが素早くて、スムーズに仕事が進むよね。用件だってすぐに済むし」というもの。

君の仕事はスムーズに進むかもしれないが、こっちの仕事は電話の時間分、滞った。君が今すぐに済ませたい用件に、こちらが付き合う義務はない。ほら、自分にとって電話は好都合な手段だと思っちゃってるんだから、自分がされて嫌な気持ちになることもないし、だから平気で他人にやれちゃう。

こういうバカが浄化されるように、ぜひとも万人に本著を読んでもらいたい。

(ただ、バカって生き物は、自分のことを見つめ直したりしない性分。きっと本著を読んだとしても、「あぁ、こういうヤツ、いるよね!」ってな感じで、自分のことだとは思わないし気づかないだろうけど)

本著の後半では、『西野亮廣という「バカ」』『堀江貴文という「バカ」』として、お互いの印象を語っている。で、最後に、『ぼくは「バカ」』として、自分のことに言及している。前半と後半の対比が、読んでいておもしろい。

世間一般に存在する前半の「バカ」と、後半で語られる本当の「バカ」の価値。後半を読み進めるにつれ、同じ「バカ」という言葉のはずなのに、その価値観が変化していく。

本著を読み、出した個人的な結論は、こうだった。

バカなほうが、生きていて楽しい。だから、バカになったほうがいい。でも、他人に迷惑をかけることなく、マナーを遵守したバカであろう。それだけを押さえたうえで、あとは、とにかくバカをしよう。

彼らにこんな本を出させてしまうほどに、社会には多くのバカが存在する。そして、それと同じくらい、バカとつき合い続ける人たちがいる。本著を読んでなお、そんな不毛な日々に別れを告げられないとするなら、それこそ相当なバカだ。と、言い聞かせるように読んだ。

人生は短い。時間は限られている。いつまで生きられるか分からない。それなのに、バカに時間や感情を奪われている。危機感を持とう。そして、行動しよう。