青春とはなんだろう。改めてそれについて深く考えてみると、それは自己の主張のような気がした。
世の大人たちは、歳をとるにつれ、社会的な立場からの自己の主張は得意になる。そして、それ以外は、一般論をふんだんに備えていることを誇るようになる。つまりは、自己の主張が希薄になる。

となるとだ、たとえ若者であったとしても、自己を主張せずに、ふんわりふわふわと生きていては、青春を過ごしているということにならない。魅力を欠いた大人たちと、何ら変わらないということだ。

で、じゃあ自己の主張って、どうやったらええのん? となる。夢とか追いかけて、キラキラと輝いていることが自己の主張か? そうではない。夢なんかなくてもいい。夢など追わずに、ふんわりふわふわと生きていてもいい。ただ、「自分には夢などなく、ふんわりふわふわと生きているんだ」という確たる主張が必要なわけだ。

今やスマートフォンで手軽にコミュニケーションを取れる。企業が用意したスタンプに触れさえすれば、定型化された会話ができる。自分の言葉など使わなくても、おはよう、こんにちは、おやすみ、疲れた、好き、人間にとって最低限以上の会話は、スタンプを選択するだけで伝えられる。とてもお手軽でお気楽だ。

そりゃ、表現することも面倒臭くなるわなぁ。

不自由だった日々から、少しずつ自由が増え、自分は自由なんだと錯覚しながら、檻のなかで叫ぶ青春時代。そんな時代は今は昔。もはやそんな感傷的な時代じゃないよと、青春という言葉が、現役引退させられようとしている。

日本人。もっと自己を主張しよう。青春には年齢制限なんかない。


青春論 (角川ソフィア文庫)
亀井 勝一郎
KADOKAWA/角川学芸出版 (2014-07-25)
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青春は第二の誕生日である。友情と恋愛に対峙する「沈黙」のなかで、「秘めごと」として自らの精神を育てなければならない──。新鮮なアフォリズムに満ち、生きることへの熱情に貫かれた名随筆。人間と文明を問い続けた評論家・亀井勝一郎の鮮烈な人生観は、高度経済成長に飲み込まれていく戦後日本の青年に大きな影響を与え、いまだ色褪せることがない。

爆笑問題 太田光のインタビューを見ていて、クラスメイトとひと言の会話もないまま過ごした高校時代に読んだ本として取り上げられていた。亀井勝一郎を読み、その後、島崎藤村などへと進んだという太田光。気になって、亀井勝一郎の青春論を購入した。

終戦後10年しか経たないころに書かれたエッセイ。まず感じたのは、昔も今も大差がないということ。
「近頃の若者とくれば……」と、老兵から呆れられた若者たちが歳をとり、若者たちを見ては「近頃の若者とくれば……」と嘆く。そんなことが延々と繰り返されているんだろうと、本作を読んで痛感する。

本作は「青春を生きる心」「愛に生きる心」「理想を求める心」「モラルを求める心」「日本をみつめる心」「明日に生きる心」として、6つの章から成る。

前半は若者たちの青い心を射抜くような言葉が並ぶが、中盤から後半にかけては、青い心にこれからの日本を託すようなメッセージが詰まっている。決して若者を批判することなく、それでいて、若者を前へと歩ませようとする著者の主張。時代背景は異なるけれども、まるで今日の我々に語りかけられているような錯覚すらも起こした。さすが、今現在も読み継がれる名作だけある。

現代では「アナログ」と「デジタル」で議論をする機会が目立つ。味のあるアナログと、味気ないデジタルの議論。
たとえば音楽を例に挙げてみると、生楽器で演奏するミュージシャンもいれば、完全に打ち込みだけで楽曲制作するミュージシャンもいる。前者にこだわる人もいれば、後者を非難する人もいる。つまらない時代になったと嘆く人もいれば、そんな時代なんだよと涼しげな人もいる。

じゃあ昔の日本人たちはそれほど高尚な表現をしていたのかというと、既に当時の著者は、日本の芸術に対して嘆き節な部分もある。表現の自由が担保されたことで、それまでは封じられていたような表現が一気に花開く。と思いきや、あまりにもな方向に向かっている風潮もあり、それを嘆く。

仮に性への描写について著者は、

人間には獣性があるが、同時に神聖な欲求もある。この矛盾の戦いが根底にあって、はじめてすぐれた作品ができあがるのは当然だ。

と語る。

本作を読んで気づくこと。それは、若者はいつの時代も若者で、大人はいつの時代も大人、だということ。法律や制度、言葉使いや利用できるアイテムは異なれど、いつの時代も結局は同じようなことをやっている。

「あの頃の時代は優れていて、今の時代は廃れている」なんて言葉、すっかり大人になりきってしまった人たちの諦めのセリフだということが、本作を読んで切に感じた。

人はみな、青春時代を過ごした経験を持つ。じゃあ、青春とは自ずと終わってしまうものだろうか? ぜったいに違う。大人たちは、青春から目を逸らしただけなんだ。さぁ、もう一度、青春を直視してみよう。慣れ腐った毎日から足を洗い、恥ずかしい己の醜態を、自己の主張に乗せてさらけ出そうじゃないか。