人は大切なものを失うことを頭で理解した瞬間から、後悔をはじめる生き物だと思う。
いつまでも自分のそばにあるものだと無意識に思って安心しているから、それは当然のことだし、それは別に責めるべきものじゃない。そうやって無意識に安心できるほど大切な存在だったんだって、逆説的に捉えることもできるだろう。

そして、大切なものっていう存在は、何も他人のことばかりじゃない。自分という存在だって、そのひとつ。
自分のしょうもない拘りのために、今日一日を無駄にしてしまった経験はないだろうか。明日の朝、眠りから絶対に目覚める保証なんて誰にもないはずなのに、それなのにその日一日を、納得のいかぬまま、無駄に過ごしてしまったこともあるはず。

そこで思った。

大切なものを失うことを頭で理解した瞬間に後悔をはじめる。そこでほとんどの人は、後悔を償おうとする。何かを埋め合わせようとする。やろうと思っていたけれどやらなかったことに後悔し、やってみたり。言おうと思っていたことに後悔し、言ってみたり。

でも、それってすごく後ろ向きな気がした。人と人が一緒にいて、やろうと思っていたけれどやらなかったことって、もともとやらなくてよかったことのような気がするし、言わなかったことは、別に言わなくてよかったことだったんじゃないかなって思う。

後悔の念に突き動かされて、後ろ向きな埋め合わせをしたって、誰も喜ばないし、誰も望んじゃいない。それだったら……

未来に向かって、新しいことをやってみよう。

失うという行為も前に向かって歩いて行くこと。もちろん、そんな冷静に受け止められるわけがない。当事者になれば誰だって心は壊れるし、精神を落ち着かせられるわけがない。でも、後悔は違うと思う。後悔なんてしている暇はない。新しい何かをやってみなくちゃ。


妻に捧げた1778話 (新潮新書)
眉村 卓
新潮社
売り上げランキング: 31

余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた―「また一緒に暮らしましょう」。妻のために書かれた一七七八篇から選んだ十九篇に、闘病生活と四十年以上にわたる結婚生活を振り返るエッセイを合わせた、ちょっと風変わりな愛妻物語。

雨上がり決死隊のテレビ番組、アメトークで放送された「本屋で読書芸人」のなかで、メイプル超合金のカズレーザーが紹介した本作。15年ぶりに泣いた!と絶賛していたことで気になり、買ってみようと思ったものの、テレビのチカラは偉大! どこもかしこも売り切れ。購入の目処がたたないくらい、在庫切れのオンパレード。さすがテレビ。

で、オンエアの影響力に少し翳りが見え始めた頃、ようやく購入できました。

余命宣告された妻に小説家の夫が書いたのが、1778話にものぼる、ショートショート。ショートショートを書いたというところに、強い興味を持ったのが、本作を手に取りたくなった理由。

読了してみて感じたのが、本作が、いわゆる余命宣告をテーマに感動へと誘いたがる類の作品じゃなかったってこと。そんな物語を期待して買った人も多いのでは? 本作はそんなよくある作品とは決定的に違う。余命宣告を受けた妻に、限られた時間のなかで愛を綴る作品には違いないが、そのやり方が作家らしくて素敵だし、ショートショートを書くというところもまた粋だ。

眉村卓曰く、自分のなかでさまざまな制約を設けてショートショートを書いたとのこと。妻への手紙になってしまわないこと、妻に楽しんでもらう作品にすること、商業誌に載ってもおかしくないレベルを維持すること。その覚悟とそれを継続した人間の力、作家としての力に尊敬と畏怖の念を抱いてしまう。

それだけに、ショートショート好きの僕からすると、普通のショートショートの作品として楽しめた。カズレーザーが番組で訴えていたあの感動がその先に待っていることすら忘れて、普通に楽しんで読んでいた。

でもやっぱり無理だったね。楽しんで読了することは不可能だった。
人間としての力は、作家としての力を凌駕し、いつしかショートショートの物語は、完全なる妻への愛へと昇華していた。気づけば大量の涙で、目の前が霞んでしまっていた。ビデオ試写室に篭って読んでいたんだけれども、隣の部屋でもまたその隣の部屋でも、男性客たちは必死に「ひとり上手」に耽っているだろうその空間で、嗚咽していた。

ふと思った。
こういう涙って、なぜ出てくるんだろうって。

大切ななにかを失った人に対して同情しているの? 自分事に置き換えて感傷的になっているの? いずれ自分にも同じことが起こるだろうことを想像して、悲しみを先取りしているの? それともまるでフィクションのように捉え、創作としての感動を味わっているの?

ただ、これだけはわかった気がする。
人間すべてに物語があって、その物語を知ることで、人は感動する生き物なんだと。そして、感動を伝える仕事が世の中にはあって、その表現が言葉だという職業もある。それがどれだけ素晴らしいことかと再認識した。

「戦争でとある青年が射殺されました。」
これはニュースだ。

ある国にひとりの青年がいました。彼は重い病を抱えた母親の看病をしながら、年の離れた妹の面倒を見つつ、アルバイトで家計を支えながら独学で勉強を続けていました。彼はいつか母の病を治したくて医療の世界に身を置けるよう、苦しい毎日にも耐えながら未来を夢見て生きていました。

彼が医師の資格を手にできたとき、その国では戦争がはじまり、彼は徴兵されることに。母親と妹を置いて他国に戦争しにいくことは本意ではなかったものの、国の決まりごとに逆らえるわけもなく、彼は出兵することになりました。

敵国とされる地に降り立った彼は、生きて還ることを誓いながらも、狂気の銃弾に倒れてしまいます。彼を撃ったのは、興味本位で戦争に参加した裕福なひとりの青年でした。尽きることのないお金を親から与えられ、何不自由なく生きていた彼は、そんな毎日に飽きはじめ、ついには人を殺すことに興味を持ったそうです。その先には戦争があり、まるで暇をつぶすような感覚で参加しました。その無価値な銃口から放たれた狂気の一撃で、先の彼は命を落とすことになったのです。

途切れ行く意識のなかで、命果てる直前、彼はこう言ったそうです。
「おかあさん……」

これは物語だ。
そして、すべての人間には物語がある。

それを伝えられる言葉の重み、それを伝える仕事の崇高さ、余命宣告された妻に1778話ものショートショートを書いた眉村卓。本作には後悔なんて微塵も描かれていない。大切なものを失う事実を前にしてなお、後悔を埋め合わせるようなマネなんて一切していない。前を向いて、未来を見つめて、言葉を連ねる。その行為が人間としてどれだけ素晴らしいことか。

言葉は伝えるものじゃない。伝わってこそ、はじめて言葉なんだ。
その意味を、本作の最後、1778話目のショートショートが物語っているんじゃないだろうか。