これからの未来を、ぼくたちはどれくらい正しく思い描けるだろうか。
発展し進歩していく様子を、正しくイメージできるだろうか。

もう未来をイメージする必要もないほどに発展しきってしまったのか、簡単にイメージできる程度の発展しか未来には残されていないのか。さて、どうだろうか。

便利さばかりを追求する発展なら、もう要らない気がする。
なぜなら、便利さを追求することは、幸せに近づくことではない気がするから。
物が溢れかえっていても満たされない人がいる反面、決して裕福ではないけれど、心に豊かさを保ちながら生きている人もいるのがその証拠。

脳内をもっと愉快で騒々しい未来のイメージで埋め尽くしてみる。
ガヤガヤと、人がうるさく過ごしている。捩れた人間関係や物足りない歯がゆさを抱えながら、毎日を粗暴に闊歩する。その日その日の酒を飲み、明日の楽しみを思い浮かべたり、一日の悔しさから目を背けたりしながら。そんな、当たり前だったはずの未来に、ぼくらは足を踏み入れることができるのだろうか。

あの日あの時、作家たちが事細かに描いた未来に、ぼくたちは今、立っている。
そして、未来を豊かに予言してくれる作家たちはもういない。
いや、そんなことはないかな。

Back to the basic.
ぼくらはエポックメイキングだけを待っている。
今をぶち壊して、未来を創ろう。歴史に学びながら、過去から蓄積してきたデータや統計をすべて捨て去り、手つかずの未来を創ろう。
たとえ壮大でなくたっていい。そこにはきっと、ひとにぎりの未来があるはずだから。


ひとにぎりの未来 (新潮文庫)
星 新一
新潮社
売り上げランキング: 145,668

脳波を調べ、食べたい料理を作る自動調理機、眠っている間に会社に着く人間用コンテナなど、未来社会をのぞくショートショート集。

本作を読んで、絶句した。あまりにも、今いる現代のことが、的確に予言されているから。
何もかもが自動化され、人工知能が実用化され、我々の社会、いや、世界は大きく変わろうとしている。どういった風に変わろうとしているかというと、星新一が本作で描いた未来へと変わろうとしている。

星新一の描くショートショートのなかにも、技術が進歩し、世の中が便利になった様子がたくさん描かれている。が、いずれもそれは、人間のなかに歪みをもたらしてしまう。進歩のなかで置き去りにされてしまった人間の温度というものが、必ずそのシステムの一部に欠陥を作ってしまう。

万能を夢みて技術発展するのだろうが、利用するのは所詮、人間。人間そのものが欠陥だらけなんだから、どれほど優秀なプログラムを組もうが、穴は残る。
技術者たちはどうせこう言うだろう。「より多くの人々が満足できるシステムを」と。より多く、に入らない人間たちは、その便利さを享受できないし、どうせ切り捨てだ。そんな非情さを、星新一も予測し、訴えていた部分があるはず。

本作が最初に出版されたのが、1969年。今から50年近くも前だ。
その頃から今のぼくたちの姿が、星新一のイメージには浮かんでいたということか。まったく、末恐ろしい。

サイエンスフィクションは、科学的な空想にもとづいたフィクションのことだろう?
その大半が現実になってしまっちゃ、もはやフィクションじゃ語れない。今、起こってしまっているものや、近い将来、起こるだろうことばかり。それはノンフィクションじゃないのかい。

星新一にひとこと言いたい。
あなたが描いたように、技術の飽くなき進歩の結果、人間たちは息苦しくなってしまい、未来さえも見えない人たちが増えてしまっている。
もちろん、技術だけのせいじゃないのはわかっている。経済や政治、その他もろもろ。ぼくたちを生き辛くしている要因はたくさんある。

ただ、圧倒的に便利になろうとしている世の中は今、生きることに不便さを感じてしまう世の中に変わってしまった。だからぼくたちが、自分たちの未来をもう一度描いて、訪れたくなる未来のイメージへと近づけて行かねばならない。

タイムマシンはきっとあったんだ。星新一の脳内に、きっとあったんだ。
何もかもが本作で予言されている。
これは過去の本なんかじゃない。
たった今、出版されたばかりの本として読んでも、なんら違和感のない、時代を超えた名作だといえるだろう。