人間の性格って、どうしてこうも違うものだろうか。
過剰に繊細な人間もいれば、目も当てられないほどガサツな人間もいる。マイナス思考やプラス思考、消極的や積極的。ほんとにいろんなタイプの人間がいる。

寡黙な人だって、心の中では多弁。心で多くを語れども、声には出さず、自分の中でそれらを消化する。消化不良を起こした思いたちは、蓄積、堆積、鬱積し、苦悩を引き起こす。
ミルフィーユ状になったそれらは、他人の手ではもちろん、自分の手でさえ救えない。そのことさえもまた苦悩の仲間入りを果たす。

自分を過小評価したり、卑下したり、自己否定したり自己嫌悪に陥ったり。悪循環はいつだって加速していくから、かなりの時間をかけて産み落としたポジティブなイメージも、刹那的に破壊していく。

もしも、大切な人にさえ、大切なことを訴えられないとしたら?

それはとても悲しいこと。それはとても苦しいこと。もがき苦しむ末に、何が待っているのだろうか。苦悩から解放される日は、やってくるのだろうか。

世界中のみんなが笑っているから、自分も笑ってみた。それを俯瞰すると、きっと世界中のすべてが笑っているように見えることでしょう。でも、自分の心は笑っていない。苦悩の泥沼の中に、足を沈めたまま。世界中のすべてが笑っているように見える中に、確かにある私という違和感に、誰か気づいてくれるだろうか。

暗闇の中にあって、救いを求め手をばたつかせてみる。何かに触れた気がした。でも、きっとそれは錯覚。何かに触れることなんてない。だって、闇の中には、誰もいないんだから。自分ひとり、孤独に存在しているだけなんだから。


夫のちんぽが入らない
こだま
扶桑社 (2017-01-18)
売り上げランキング: 338

“夫のちんぽが入らない"衝撃の実話――彼女の生きてきたその道が物語になる。

2014年5月に開催された「文学フリマ」では、同人誌『なし水』を求める人々が異例の大行列を成し、同書は即完売。その中に収録され、大反響を呼んだのが主婦こだまの自伝『夫のちんぽが入らない』だ。

同じ大学に通う自由奔放な青年と交際を始めた18歳の「私」(こだま)。初めて体を重ねようとしたある夜、事件は起きた。彼の性器が全く入らなかったのだ。その後も二人は「入らない」一方で精神的な結びつきを強くしていき、結婚。しかし「いつか入る」という願いは叶わぬまま、「私」はさらなる悲劇の渦に飲み込まれていく……。

交際してから約20年、「入らない」女性がこれまでの自分と向き合い、ドライかつユーモア溢れる筆致で綴った“愛と堕落"の半生。“衝撃の実話"が大幅加筆修正のうえ、完全版としてついに書籍化!

話題性のあるタイトル。それでいて、共感を集めるタイトル。興味、関心、それでいて、堂々と手に取りにくいテーマ。気になる。

本作は決して、性の本ではない。本作は、人間の本である。「夫のちんぽが入らない」というフレーズは、悩みを表現しているのではなく、苦悩を訴えかけている。
「夫のちんぽが入らない」と聞けば、性行為の悩みと感じるかもしれない。しかしそれは、「大切な人と交われない」という苦悩。大切な人と、ひとつになれないという大きな苦悩。

主人公こだまの半生が綴られた本作。
世間を巻き込み、生きたり死んだりの壮絶な人生は、時に話題を集める。しかし、個人的な心情と苦悩、そこから生まれる行為、行動を綴るだけで、もはや壮絶な人生を見せつけられることになる。
もしかすると、銃で何人もの命を奪った人間の半生を見るよりも、本作を通じて著者の半生を覗き見るほうが、壮絶に感じるかもしれない。

「夫のちんぽが入らない」ことが悩みでしかない物語前半。それが人と人との不一致を呼び、悪循環を引き起こし、本作が壮絶たらしめる展開へと進むにつれ、前半では時にクスッとすらしていた気分が一転、眉間の皺を緩められないほどに心が傷んだ。

人と人が出会い、それらの形を合わせると、当然にいびつだ。しかし、二人で転がりながら削り合いながら、やがて自分たちで納得できる形になっていく。削るという行為は傷。納得できる形は妥協、かもしれない。かもしれないが、いびつの果てに迎える妥協は、素晴らしいもののはず。

本作を性の悩み本と捉えることなかれ。本作は、人間の苦悩の本である。
実話とされる本作にあって、できれば脚色であって欲しいと願う箇所、多々あり。それは、主人公こだまへの同情か、彼女を救ってくれと願う偽善か。
悲痛やら苦痛やら、ともかく、本作には、痛みという字がとてもよく似合う。