糸井重里さん(@itoi_shigesato)のある日のツイートから、なるほどなぁと、深く考えさせられたものをひとつ。

十人いたら十色あるという、このゆたかさ、たのしさ、おもしろさをいいもんだなと思うなら、重箱の隅から目を離してさ、十色のちがいをたのしもうよ。それとも一億一色で行きたい?

そうなんだよな、すっごくポジティブな意味で言うところの「人は人、自分は自分」っていう、独立した色が連なって、輪になっていて、その円が、縁なんだよ。

決して、他人なんて関係ないって吐き捨てるような、そんな排他的な意味ではなくてね。人は人、自分は自分なんだから、のんびりやろうよっていう。

結局、どう頑張ってみても、僕は君にはなれないし、君も僕にはなれない。放っておいても、僕は僕。そんで、君は君。

だから、正解なんて、無い。
君は他の誰でもなく、君なんだから…。


以前から、先輩のデザイナーの方に、「それでいいんだよ」っていうおコトバをよく頂いていた。それでいいんだよって。

ちょっと前の僕は、そういったフレーズを、ある種の妥協のような気がして、ほんと素直に受け取れなかった。なんか、突き詰めずに、残りの何かを委ねてしまうような気がしてねぇ。

それが、最近、その先輩のそういったフレーズが、とてもすんなりと心に入ってくるようになったんだよね。

そのフレーズがもつ、朗らかさに気づいたんだよ、ある時、ふっと。

「人事を尽くして天命を待つ」ってコトバ、あるじゃないですか、あの、人間として出来るかぎりのことをして、その上は天命に任せて心を労しないっていう、任せるっていう部分を、しっかりと意識できるようになった。

なぜかって?

きっと、ちゃんと人事を尽くしてるって自信が、自分の中にハッキリと根付いたからなんだと思う。

目くじら立てて、がむしゃらに努力し倒して、ずっとずっと息せき切って走ってた頃の僕には、内緒にしとくけど、安心しなよ、「それでいいんだよ」が、うんと深く理解できる日が、こうやって来るからさ。

そんで、こうやって気づいた僕は、目くじら立てずに、それでもやっぱりがむしゃらに努力し倒して、ちょっと涼しい顔して周りの景色なんかも時折楽しみながら、ずっと走っていくんだと思う。

だから僕にいいたい、「それでいいんだよ」って。
そして君にいいたい、「それでいいんだよ」って。

最後に尊敬する、仲畑貴志さんのコトバで締めさせて頂きます。

あなたがだれかになる必要はない。
あなたはあなたのコピーを書いてください。


追伸:

先日、その先輩デザイナーの方と話してときに、「暑くもなく、寒くもなく、こういった中途半端な季節に着れる服を、たくさん持ってるヤツって、なんだかカッコいいよね。」

って話をしてて、あっ確かに、そんな気がするって、納得。

中途半端な季節の服って、暑さを避けるでもなく、寒さを防ぐでもなく、そう、あんまり機能性がない。非機能的であってもいい。

それって、気持ちの「余裕」の部分だよね、って。「余裕」から生まれるスペースだよね、その中途半端な季節用の服をしっかり買える感じって。

だから、そこを手厚くカバーできてるヤツって、なんだか妙にカッコいい。

なるほど、なんかそんな気がするなぁ。