伝えたい価値をしっかりと伝えることが、なんでこんなに難しいのか。とても骨が折れるし、時には、イヤな思いだってするよね。

なんでか。

きっとそれには2つあるんだと、思う。結論から言っちゃうとね。それは、


みーんな、教えてもらうんじゃなくて、自分で気づきたいんだよ、価値に。

あとね、大勢人がいる中ではね、みんな、自分が一番でいたいんだ。


それだから、本当に伝えたいことって、伝えにくくもなるし、そこに摩擦だって生じてしまう。ほとほと疲れるよね。なんか、戦いみたいで。

そんなだから、キミが思ってる以上に、もっともっと優しくなればいい。そうすれば、きっと解決すると思うんだ。

キミが何か提案したとしよう。
でも、たいていの人たちは、それにアレだコレだと、難癖をつけて、キミの提案をぶっ潰そうとしたりするよね。で、キミはこう思うんだ。

「とってもいいものだし、しっかりと要望を反映したものなのに…」ってね。

でもね、きっとキミの提案は素晴らしいし、本当に相手のことを考えて出したモノだと信じてる。でも、でも、

みんな、キミが提案してくれた「答え」を、自分で気づいた気でいたいんだよ。キミに教えられたって気分じゃなくて、あくまで自分でね。

人はみんな、けっこう単純なとこがあって、知ってる優越感とか、気づいてる快感とか、そういうものが、好き。
だから、○○を考えて来てって言われて、キミがしっかりした答えを出しちゃうと、たちまち、

「そうじゃないだろー!」

ってなる。それは仕方ないんだよ。キミが知ってたことが、気にくわないんだもん、答えを。基本的に、みんな天邪鬼だからさぁ。


あと、大勢人がいると、話がまとまんなくて、あっちこっち行って、結局なんの原形すらとどめてないようなとこに、着地しちゃうこと、あるよね。
着地するならまだいいか。着地すらせずに、フラフラとどっか行っちゃって、見えなくなっちまうことだって、ある。

あれも、簡単。

みんな、自分が一番でいたいから、自分の意見が反映されてなきゃいやで、それが、その人たちの地位であったり、主張するタイミングであったり、いろんな要因で、話をアレコレと突っつき出す。

結局のところ、話をうまくまとめようとすると、全員が各人なりの納得をした状態でまとまるなんてこと、めったにないし、きっとそれは無理だと思う。

じゃあ、どうするの。

じゃあ、どうしようか。


つまりは、全部が全部、調整なんだよ。人と人って。

ボクら、買い物しててもそうじゃない、店員さんが寄ってくると、気になって買い物できないから、店員さんが寄ってくる店、きらーい。とかいってみたり。
それでいて、店員さんが寄ってこなけりゃ、接客がなってない!この店、きらーい。とか。

ほんで、しまいに、言うんだよ。「ちょうどいい具合の店がいい」って。


だから、キミが本当にやるべきことは、2つある。

伝えたい価値をしっかりと伝えること。と、

しっかり伝えるために、相手を調整してあげること。

だからキミはこうすればいいんだよ、

これからは、「調整」を「思いやり」って呼べばいいんだよ。ね。

みんな、優しさや思いやりを求めてるんだよ。その求め方が違うだけで、みんなね。それで解決する問題って、案外多いと思うんだ。だから、調整。

だれかを車に乗せてる時って、アクセルを踏み込むタイミングとか、ブレーキをかけるスピードとか、ひとりの時より、細かく調整するでしょ?

アレだよ、アレ。


追伸:

先日、事務所のみんなで、淡路島に釣り行ってきました。

一番、気づいたことは、普段、変な雑音の中に生きてんな〜って。
例えば、電話の音や、誰かのキーボードをたたく音、資料をこする音だったり、表を通る車の音、怒鳴り声も笑い声も。

もしかしたら、僕らがボーッとできないのって、音のせいじゃないかな?と思った。音があるから、常に神経がね、そっち行ってるのかも。

音がないのがいい。そんな時間が、めちゃくちゃ欲しかったのかも、最近。

風車