大阪モダンディスコ

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。 ロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける。

恋愛には、嬉しいこともあれば辛いこともある。あと、不思議なこともたくさんある。-書評-『落下する夕日』

恋愛に埋没している人の心には、常に不思議がつきまとう。そして、その不思議はやがて常識になり、それが欠けると、心が不安定になる。自分にしか見えないその常識が、他人の価値観との距離を生み、どんどんと孤立し、孤独になる。

恋愛のためだったら、積み上げてきたものだって壊せたり、時間だって無駄にできたりする。それほどまでにして手に入れたものが、どれほど価値があるものかなんて、もはや冷静に分析も解析もできない。できないけれど、手に入れたい。手に入れ続けたい。そう願う。

愛したいのか愛されたいのか、求めたいのか求められたいのか。相手を独占したいのか自分のすべてが満たされたいのか。
恋愛が「私とあなた」だけのものだったら、どれほど安心して毎日を暮らせるだろうか。恋愛はいつだって、「私とあなたと、誰か」だから、心はいつも落ち着かない。

たとえば、こんな言葉を耳にすることがある。
「別れたあとも、友だち」
こんなキレイ事が言えるなんて、きっと付き合っているときから、友だち以上ではあるものの、恋人未満の心の繋がりだったんだろう。そうじゃないと、あり得ない。
根深い恋愛の末は、別れたあと、きっと相手は、浮遊する存在になる。他人ではない。友だちではない。でももう、恋人じゃない。だけど、恋人だった人。どこにも属さない、浮遊する人。

こんなにも、心をかき乱す恋愛というものの正体とは、いったい何なんだろうか。
他人にとっての非常識さえも、常識にしてしまう力を持つ恋愛。

その先に幸せが待っていないとしても。待っていないと知っていても。それでも求めてしまうもの。
隣にいる人に依存することで、心をいっぱいに満たしたい、刹那的な欲求なのだろうか。


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世界中のすべてが笑っているように見える中にある、確かにある私という違和感に、誰か気づいてくれるだろうか。-書評-『夫のちんぽが入らない』

人間の性格って、どうしてこうも違うものだろうか。
過剰に繊細な人間もいれば、目も当てられないほどガサツな人間もいる。マイナス思考やプラス思考、消極的や積極的。ほんとにいろんなタイプの人間がいる。

寡黙な人だって、心の中では多弁。心で多くを語れども、声には出さず、自分の中でそれらを消化する。消化不良を起こした思いたちは、蓄積、堆積、鬱積し、苦悩を引き起こす。
ミルフィーユ状になったそれらは、他人の手ではもちろん、自分の手でさえ救えない。そのことさえもまた苦悩の仲間入りを果たす。

自分を過小評価したり、卑下したり、自己否定したり自己嫌悪に陥ったり。悪循環はいつだって加速していくから、かなりの時間をかけて産み落としたポジティブなイメージも、刹那的に破壊していく。

もしも、大切な人にさえ、大切なことを訴えられないとしたら?

それはとても悲しいこと。それはとても苦しいこと。もがき苦しむ末に、何が待っているのだろうか。苦悩から解放される日は、やってくるのだろうか。

世界中のみんなが笑っているから、自分も笑ってみた。それを俯瞰すると、きっと世界中のすべてが笑っているように見えることでしょう。でも、自分の心は笑っていない。苦悩の泥沼の中に、足を沈めたまま。世界中のすべてが笑っているように見える中に、確かにある私という違和感に、誰か気づいてくれるだろうか。

暗闇の中にあって、救いを求め手をばたつかせてみる。何かに触れた気がした。でも、きっとそれは錯覚。何かに触れることなんてない。だって、闇の中には、誰もいないんだから。自分ひとり、孤独に存在しているだけなんだから。


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人を想う距離。あなたを想う距離。-書評-『そういう生き物』

人を想う距離。
手を伸ばすことに戸惑うその距離は、でも縮めたい、でも縮められない。
それに焦がれながら過ごす一日は、なんと短いものだろうか。

人には見せられないこと。
心のなかの湿地帯には、ひた隠しにしたい、けれど知って欲しいことが。
それに焦がれながら過ごす一生は、なんと長いものだろうか。

理性がおりこうさん、だとしたら、心はやんちゃ坊主。
心のおもむくままに生きようとしても、理性がそれをいつもとめてしまう。
人を想う距離。
そこに手を伸ばしてしまうと、何もかもが壊れてしまいそう。
築き上げてきたものが崩壊するのは、一瞬なような気がする。
また、理性がそれをとめてしまう。

手を伸ばして触れられる距離に、あなたが居ても、そこには手を伸ばせない。
たとえば、体温を感じるだけだったり、たとえば、寝息を感じるだけだったり。
ささやかで、密やかな欲望を感じながら抑えながら、今日も更け行く夜。

あなたを想う距離。


そういう生き物
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その物や人を失うのではなく、「当たり前」を失うだけなんだ。-書評-『永い言い訳』

人間の最も愚かなところ。
それは、大切な人がいつまでもそばにいると信じ切っているところ。
大切な人の命が、いつまでもそばにあると信じ切っているところ。
自分の命が、いつまでもここにあると信じ切っているところ。

そして、たとえ大切な人を失ったとしても、失ったことが正しかったんだと自分を正当化し、愚かな選択を美化し、自分を保とうとする醜態。
まるで不老不死でいるかのように、命や時間を粗末にし、「誰しも死んだら生まれ変わってくるよ」と涼しい顔して言わんばかりに、大切な人の命さえ軽んじる始末。

認めたくはないが、それこそが人間だ。
大切な人、大切なものを、大切にできない。
失ってから後悔するのは得意なくせに、失う前に気づかない、愚かな人間。
認めたくはないが、それこそが人間だ。

ご存知の通り、人の命は、一度きり。それを忘れてか、気づかぬふりしてか、何もかもを粗末にする人間の、なんと多いことか。
「一度きりの命なんてこと、知ってるさ、知った上で、無駄にしてるんだ」と自慢げに吠えているなら、その生き方を選ぶ権利は、君にはない。君が望んだ命じゃない。親が望んだ命だ。その生き方を選んで、君に課せられるのは、親しかいない。

こんなことを頭で考えていると、やたらめったらカタブツになってしまう。
頭で考えていても、ロクなことはない。
だから、心で感じるしかないんだ。
心?
心で感じるときは、もう、手遅れなのか。
この言葉の意味、分かるだろう?
だって、失ったあとじゃ、悲しみしか感じられないじゃないか。
そうか、だから僕らは、後悔ばっかりしてるのか。


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手にしたときの喜びよりも、失ったときの悲しみのほうが大きな男女こそが、恋愛においては強者なのだ。-書評-『痴人の愛』

男は女を自分の所有物と勘違いしている。ところがだ、女にその心を奪われた瞬間に、女の所有物と化してしまっていることに、なかなか男は気づけない。
自分が用意した檻の中に女を閉じ込めようとする。嫉妬に狂った結果、女を逃すまいと、さらに独占の欲を強める。自分が飼っているのだと安堵する。しかしだ、男は、女を飼えない。逃げるも逃げないも、女の意思ひとつ。逃すまいとしたところで、逃げるという意思を持たれたならば、すべてが破綻することも知っている。知った上で、女を自分の所有物であるかのように勘違いする。勘違いすることで、自らを安心させている。

こんな滑稽なことがあるだろうか。男はとても滑稽だ。

女に心を奪われてしまった後の男は、もはや廃人。自分の意思など持つことはできず、女の所作に振り回されながら生きる。しかも、振り回されることを自ら望んでいるきらいがあるから、尚のこと滑稽だ。

もしかすると、それはもう、愛なんてもんじゃないのかも知れない。喪失を恐れる感情や、所有物だったものを失う焦燥感、他人の手に渡ってしまうことへの敗北感。それらが相まって相まって、結果的に、愛に見えているだけで、個別に分解すると、もはや愛なんてもんじゃないんだろう。

果たして、美男美女やら、皆が一様に望むような、高いステータスを持った男女が、恋愛において、最も優秀な存在なのだろうか。それは、圧倒的で決定的に違う。心が奪われるほどの存在には、美男美女やら、それらの男女は決してなり得ない。
なぜなら、それらの男女というものは、「手に入れたときの達成感、満足感、快感」ばかりが大きく、そこに目が行きがち。その分、失ったときの喪失感は薄れがちだ。人が愛に気を狂わせるのは、後者に取り憑かれたとき。美男美女など、一般的に恋愛において優秀とされる男女は、そんな存在になり得ない。

手にしたときの喜びよりも、失ったときの悲しみのほうが大きな男女こそが、強者なのだ。

そして思う。
失ったときの悲しみに満ちた女と出会ったあとの男は、もはや、使い物にならない。たいそう、情けない。そして、やはりこの言葉が似合う。なんて滑稽なんだ。愛くるしいじゃないか。


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意識していなくとも、そこには確かに縁がある。-書評-『死んでいない者』

こんな風に考えることはないだろうか。
自分はあくまで自分自身だから、自分が主人公で然るべき。でも、同じ電車に乗り合わせたり、街ですれ違うだけの人たちも、皆、自分を主人公と思っている。となると、向こうからすると、こちらはエキストラで、こちらからすると、向こうはエキストラ。端的に言うと、人には人の人生がある、ということ。

なにかの行事で、親戚が集まる機会がある。よく知る者もいれば、そういう機会のときにしか、顔を見ない者もいる。しかし、そこは親戚の集い。よく見れば、誰も彼もが、顔に似た特徴を持っていたり、仕草が似通っていたりする。まるで連想ゲームのように、この人を見れば、あの人が思い浮かぶし、あの人を見れば、この人を思い浮かべる。などなど、まったく他人の集いには、ない妙味がある。

子どもの頃は、遠い親戚の話などを、フィクションのように聞いていた。親戚の昔の話や、年賀状でしか名前を見たことのない親戚の噂話など。自分とは交差しない世界での話のように聞いていた。
ところがだ、年を取れば、そんなフィクションの住人とも、会う機会がある。実際はどうだ。ノンフィクションの世界で彼ら彼女らは、ただのおっさんだったり、ただのおばさんだったりする。
まるで答え合わせのように、聞き知った彼らの昔の話や噂話と、当の本人を結びつけてみる。すると、勝手に壮大に思い描いていたストーリが、いかに矮小なものだったのかと実感する。数学だと思いこんでいたはずなのに、実はそれが、ただの足し算だったことが判明するような気分。

なぁんだ、彼ら彼女らも、僕らと同じように生きて、同じように、くだらないことで揉め事を起こして、くだらない噂話が立っていただけなんだ。そう、実感する。

そんな親戚たちが大勢集まり、形式ばった飲食をする機会などがある。会がはじまった当初は、普段会わない者同士、多少ギクシャクしている。これが他人同士だったら、終始、打ち解けぬまま終わってしまうこともあるだろう。しかし、そこは親戚。数分もすれば、肩の力も抜け、形式ばった様子も解れ、和気あいあいがはじまる。
それほど付き合いの近くない僕は、肩の力が抜けるまでにも、それなりの時間を要する。でも、終盤にふと、お酒の酔いも手伝ってか、親戚一同を、まるでカルスト台地に立ち、だだっ広い景色を眺めるかの如く、俯瞰したくなる瞬間が訪れる。

そのときの感想は、こうだ。
なんか、ええ景色や。

誰が誰の叔父やとか、誰の従兄弟だとか、そんな系譜はこの際、どうだっていい。この中には、いい人もいれば、悪い人もいるだろう。幸せな人もいれば、不幸を背負っている人だっているはずだ。子どもに恵まれて、若くしておじいちゃん、おばあちゃんになっている人もいれば、三度も離婚を経験している人だっている。

それをひっくるめて、縁がもたらせた機会だと、感慨深くなる。
親戚と近い付き合いをしていないから、余計にそう思えるのかも知れないが、妙な感慨にふけることがある。

意識していなくとも、そこには確かに縁がある、と。


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正常って、その瞬間の社会における多数決で勝利したほうの思考に過ぎない-書評-『コンビニ人間』

私って、どこか人と違うな。うまくやれている人たちを見て、自分を卑下してみるときに口にする。かと思えば、私って、どこか人と違うな。うまくやれない自分を正当化するときに、また口にしてみる。

私って、自分のことをついつい客観視しちゃうんだよねと、常にクールな自分をアピールしてみる。その実、私って、自分のことをついつい客観視しちゃうんだよねと、常にクールな自分をアピールしていることが無意識の癖だってことをちっとも自覚できていないことが、他人に筒抜けになっていたり。

たとえば、プールで泳ぐ。
他人のクロールの息継ぎを見て、とても滑稽で、とても不細工だなって感じる。自分が息継ぎするときは、あんなにも不細工になるまいと考える。そして、泳ぐ。不細工な息継ぎで泳ぐ。誰かにそれを指摘される。あんた、不細工だなって。そして言い訳する。自分が不細工な息継ぎをしていることなんて分かってるよって。不細工になるまいと泳いだはずなのに、言い訳する。もしくは、不細工な息継ぎしかできないんだよねって開き直った演技をする。本当は、流麗な息継ぎをしているつもりなのに、できていなかったことを照れ隠そうと演技する。または、息継ぎは不細工なほうがかっこいいんだよね、一生懸命さが伝わるでしょと、斜に構える。

コンビニでは、慣れた動作しか要求されない。店員も客もそう。
もちろん、イレギュラーはたくさんある。新商品が入荷したときのオペレーションや、新しい電子マネーの決済が導入されたときなどは、不慣れなこともあるだろう。陳列のレイアウトが変わったときに、探し求めている商品がすぐに見つからないときもあるだろう。でも、そのどれもが、慣れたイレギュラーにしか過ぎない。だから、コンビニでは、安心感に包まれる。ヘラヘラと店内をウロつきまわることも、無愛想に不要レシートのボックスに、手渡されたレシートを放り投げることも、なにもかもに安心できる。その空間の中では、小奇麗なレストランの中、ナイフやフォークの使い方が分からず挙動不審になったり、システムのよく分からない風俗店の待合室で、先の読めない不安に襲われることもない。

つまりは、息継ぎが不細工だろうが、どうだっていい。

コンビニ店員だって、メジャーレコードレーベルに所属するミュージシャンだって、どちらも社会の歯車。歯車の自分が今日も世界を順調に回していると感じるか、自分は所詮、歯車だから、世界のなにひとつさえも変えられないと感じるかで、その景色はまったく違ってくる。

なにも考えず、なにも悩まず、なにも疑わずにぼんやり生きたとしても、人の命はやがて尽きる。なぜにこんなにも世は生き辛いんだと、絶望の淵に追い詰められながら生きたとしても、人の命はやがて尽きる。うまく生きなきゃ飯を食えないじゃあないのと捻くれるかも知れないが、それは社会の仕組みに適応できないだけで、人間として適応できているかどうかは、また別の話。

さあ、生きよう。自ら扉を開かなくとも、その場に立てば自ずと扉は開く。コンビニは今日も、自動ドアを開いて、あなたを優しく迎えてくれる。


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遠い遠い惑星の彼方から、愛を思い描くロマンがここにある。-書評-『悪魔のいる天国』

僕らの生活から、心が奪われている気がする。
一日のうちで、どれだけ自分の心を見つめているだろうか。進歩した文明や発達した技術がもたらした悩み事に、ただただ付き合った一日じゃなかったろうか。

便利さを追い求めた結果、不便さを解消した結果、いま僕たちは、恵まれた環境にいる。自宅にいながらにして、インターネットを活用し、どんな便利さをも享受できる時代は過ぎ、今では、それらのすべてが手元でできる。スマートフォンで。

仕事の効率化、能率化を考えたことで、電話やFAXを活用した時代は過ぎ、携帯電話やスマートフォン、薄型ノートパソコンを持ち歩き、いつでもどこでも仕事ができる状態に。

その結果、僕たちは、便利さの中にある少しの不便さに悩み、苛立ち、ウズウズしたりイライラしたり。
心を休める暇もなく、ボーッと車内吊り広告を眺める暇もないほどに、24時間仕事をする。飛んでくるメールを、ノーバウンドでキャッチすべく、すぐに受け取り、開封し、返信をする。

これじゃあ、心が豊かになるわけがない。

技術の発達がもたらした便利さという魔物は、僕たちから、心を奪って行った。じっくりと考える時間を奪って行った。ゆっくりと愛する時間を奪って行った。便利さは整っているからって、環境は整っているからって、あとは人間の判断、決断、行動を待っているんだって、いつでも僕たちは急かされている。あなたらしい言葉を選ぶことなく、スタンプ一個を送るだけで、会話が成立する時代。なにもかもが希薄になるのも頷ける。

たとえば今日の帰り道。空が晴れていたとしよう。ちょうど、冬の季節。辺りが暗くなるのも早いだろう。
駅から自宅までの徒歩の道のり。きっと、スマートフォンを取り出し、誰かからのメッセージを確認したり、最新のニュースをチェックしたり、さっきまでのゲームの続きを楽しんだりするだろう。

わずかばかり、自宅への道のりの最中に確認しなければならないほど、重要なメッセージなんてないよ。その時間を上回るほど重要な出来事なんて、世の中で起こっちゃいない。起こっていたとしても、あなたには関係のないこと。ゲームなんて、いつだってできる。ベッドに潜り込んだあとだって、間に合うはず。

ありきたりなことかも知れないが、スマートフォンに目を落とすんじゃなくて、空を見上げてみよう。都会ならチラホラ、田舎ならたくさんの星がそこにはあるはず。きっとこんな風に思うんじゃないだろうか。

じっくり星なんて見たの何年ぶりだろうか。

星は毎日輝いている。見上げればいつだってそこにある。
文明はどんどん進歩する。技術はどんどん発展する。世の中はどんどん便利になる。

でも、それを受け取るのも感じるのも、すべて、人。
人の心は、何も進歩していないし、発展も便利にもなっていない。

人の心は、あの頃のまま。

あの頃のままの心で、最先端技術や最新機器に埋もれてしまっている。それはとても滑稽なこと。大昔に生きた人々と比べて、現代の人々のほうが上だなんて思っちゃいけないよ。進歩したのは環境だけ、便利になったのは環境だけ、人は変わっちゃいない。

人は、どんな時代も、おなじようなもんさ。


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「聴イテカラ、読メ!」「泣イテカラ、笑エ!」 -書評- 『俺のがヤバイ』 DJ アフロ from MOROHA(モロハ)

なんで、こんなにも毎日毎日、戦わなければならないんだろう、と思う瞬間がある。
自分が選んだ戦いも辛い。自分が選んでもいない戦いも、もちろん辛い。

来る日も来る日も、汗水垂らして働いてると、こんなセリフを耳にすることがある。
「例の3億2千万円の件、業者に文句つけて、2千万円くらい値切らせろや」
正直、何の話をしてるのか、サッパリだ。こっちは、昼飯時、210円のかけうどんに、90円のササミ天をセットにしようか悩んだ挙句、その手を止めた。もったいないと思ったから。食ってもどうせ腹は減る。どうせ減る腹に、何も贅沢を放り込む必要はない。どうせ食っても腹が減るなら、ササミ天を食おうが食うまいが関係ない。だから、やめた。

そんな自分を慰めてくれるのは、毎日の缶ビールと、音楽。30歳も後半戦。それなのに、いまだに僕の飲み屋は、路上だ。仕事が終わって、缶ビールを流し込む。どう見ても、年下の社会人たちが、オープンテラス席に座って、談笑しながら、横文字ばっかりのメニューを注文し、楽しそうに乾杯してる。その光景と対峙しながら、缶ビールを飲む。まるで哀れみのような視線が、ときどきこっちに飛んでくる。それを酒の肴に、今日もビールを飲む。

いつかどこかで誰かが僕に言った。「大きな仕事を取りたいなら、北新地の高級な店の2〜3軒くらいは知っておかないと。いい仕事はそういう場で受注できるから。経費を使ってでもいいから、そういう店は作っておけ」って。僕は心の底から思った。それが本当なら、死んでも大きな仕事なんか要らないなぁって。それがいい仕事って言うんなら、僕はろくでもない仕事ばっかりやって、やって、やって、死んで行きたいなぁって。

譲れないものがあるから、戦い続けるのか。負けるのが怖いから、戦い続けるのか。許せないものがあるから、戦い続けるのか。現実逃避の手段として、戦い続けるのか。自分の中の正義感が、戦い続けさせるのか。自分の中の卑怯な気持ちを悟られまいと、戦い続けるのか。もはや、分からない。そのうちのどれかのような気もするし、そのすべてが理由な気もする。

ともかく、もっと大きな景色が見たい。自分の望む高台に立ちたい。別に金は要らない。仲間も要らない。理解者も要らない。僕らの周りに棲息する、生臭い息を吐くような大人にだけはなりたくない。僕らの周りで息をする、冷めた表情の子どもたちに「おもしろさ」を届けたい。この世界がもっともっと興奮で包まれますように。

そんな熱量を込めながら、今日も缶ビール。ヘッドフォンからは、MOROHA。明日もいい戦いができますように。

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失恋のあとは、次の恋に期待を抱き、カレンダーを一枚めくるんだね。-書評-『失恋カレンダー』

恋愛には、物語がある。いや、恋愛とは、物語である。

別れ話の物語を読んでなお、痛快な気持ちや、清々しさを感じさせてくれるのは、恋愛の形が成せる技か、それとも、女性特有の強さなのか。

大人になってしまえば、その物語は、淡白になるか複雑になるかのどちらかだ。
だから、素直に「失恋」なんて呼べなくなる。大人になってしまえば、そんな物語の主人公にも登場人物にもなれなくなる。出会いや別れはあるはずなのに、「失恋」ではなくなってしまうんだ。

でも、『SUNTORY OLD』のCMで言ってたよな、

恋は、遠い日の花火ではない。

自分の物語には、いつまでも不慣れで、いつまでも不器用でいたい。
慣れた日々を365回こなす中に、不慣れな一日を、少しでも多く。刺激がない毎日を危ぶむのではなく、刺激を求めなくなった自分を危ぶむべし。

恋愛のエピソードなんかよりも、失恋のエピソードのほうが、遥かに物語だ。
思えば、恋を失いそうだと気づいた瞬間から、恋という自惚れに支配されていた感情が、一気に目まぐるしく動き出して、爆発しそうなほどに思考を巡らせ、言えない言葉を五万と飲み込んだり、とにかく心が忙しなくなる。

それを描写すれば、失恋の物語になるわけだ。

別れと聞くと重々しいけれど、失恋と聞くと美しく聞こえる。
別れからはどこか卑屈なイメージを受けるけれど、失恋からは「この恋を物語にしてやる」という女性の意気込みが感じられる。

失恋のあとは、次の恋に期待を抱き、カレンダーを一枚めくるんだね。


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ちょっと細めのゴシック体の物語を、あなたもぜひ。-書評-『はじまらないティータイム』

女の人は、猟奇的だと思う、少なくとも、男よりは。

男が小器用に頭で反応しているときでも、女の人は、心でそれを受け止めて、なんと言うか、グローブなしでボールを受け止めるというか、そう、素手の心でキャッチするから、イタイイタイ。

そのくせ、仮面も上手に被れる。

行きたくもない同僚と一緒にランチに行ったり、そこで楽しそうに笑えたり、キャッキャッ。男からすると、「行かなきゃいいじゃん、そんなの」となるけれど、はたから見ると、仲よさげ。
男の場合だったら、そういうとき、分かりやすいんだよね。過ごしたくもない奴と一緒に時間を過ごす場合、そこには何らかの利害が絡んでる。

でも、分からん。女の人が、それする、メリットが。

たとえばこう思う。朝、家を出る。今日、暑い。電車が来た。混んでる。残業を課せられた。鬱陶しい。徹夜明け。眠たい。定食が運ばれて来た。味噌汁がちょっとぬるい。男女が同じ状況の下に置かれたとき、やっぱり女と男で、感じることって違うのかなって?
朝、家を出る。今日、暑い。たったこれだけの中にも、男女としての違いがあるんだろうかって。

きっと、あるんだろうな。

ということは、生物の物語は大きくわけて二パターンあるということになる。
男版の物語と、女版の物語。

人間は人生の三分の一を睡眠に費やしているとは、よく聞く話。
じゃあ、あれだね、女版の物語だったら、化粧する時間と化粧を落とす時間に、どれだけ費やしてるのかも、重要なポイントになるかも知れないね。


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今という時代の社会勉強?ほら、若者たちが、もっともっと働く気を失うぜ。-書評-『狭小邸宅』

今の時代、働く理由なんて、あるの?

結婚して、子ども作って、ってなれば、家族を守っていくためって大義名分もあるだろうから、まだ納得できる。
でも、そうじゃない人にとって、働く理由って、いったい、何?

年功序列で出世して給料が高くなっていくわけでもない。終身雇用だって期待できないし、ボーナスすら出ない。このままいけば、将来、年金だって貰えないだろう。その上、税金だけはどんどん上がって行く。

枯渇した時代に突入してしばらく経つというのに、旧世代の連中たちは、あいも変わらず、終身雇用ぶりやがって、高給取りやがって、会社の栄養を吸い倒しやがって。だから、若い世代の人たちには、頑張った報酬なんて、これっぽっちも降ってこない。

そうと知りながら、わざわざ、人生を浪費するような、仕事、をする理由なんて、ないでしょう。

その昔、保障も手当も充実してた時代だったら、将来の安定を求めて、日がな一日、辛いことも苦しいことも悔しいことも悲しいことも、全部全部、飲み込んで、頑張る理由はあっただろうに。
頑張れば、その先に進める時代なんだから、頑張るのは当然、逃げるのは卑怯者。そうなるのも分かる。

だけど、こんな今の時代において、頑張るなんて、ちょっと間違ってる。逃げるほうが利口者。人生は一回しかないんだから、会社や社会が仕組んだ理不尽な罠に、かかりまくって、時間と命を浪費する必要はない。
今すぐ、働くことを、やめよう。

とは思うものの、やっぱりみんな働いてる。
さすがに、これまでみたく、会社に隷属的になったり、精神論で戦ったりする若者は減ったものの、やっぱり、ちゃんと働こうとしてる若者がいる、のも事実。

もしかして、逃げることすら、面倒なの?
もしかして、考えることすら、面倒なの?

もう、昔みたいに、働くことで、豪快なエピソードが生まれたりはしないかも知れない。時代はとっくに変わってるから。
大きく生きて欲しいと望む自分と、小さくてもいいから自分を満たしながら生きて欲しいと望む自分、どちらも自分の中で共存しているのは確かだな。


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やっぱり、女と男に答えはない。-書評-『チョコレート革命』

自分で決めつけた自分、他人が決めつけた自分のイメージ、他人が決めつけた自分のイメージを自分自身だと思い込んでいる自分、自分で決めつけた限界、自分で決めつけた限界を超えられないと決めつけた自分、自分で作り上げた自分らしさ、他人が決めつけた自分らしさ、ずっとずっと、その枠の中で、その柵の中で、強がるときも吠えるときも、その枠の中で、その柵の中で、その檻の中で、ずっとずっと。

何かを変える瞬間や、何かが変わる瞬間というのは、イメージしているよりもっと乱暴で、突然で、絵にならなくて、それで清々しい。
頭で考えていることは、所詮、頭で考えていること。これまでの知識や経験で出している答えは、所詮、これまでの自分の中にしかない答え。

それらが、ぶっ飛ぶ。それらを、ぶっ飛ばす。
ほうら、豪速球が飛んできた。頭で反応するんじゃなくって、心と体が反応する。
ああ、もう、昨日と明日がリンクしなくなってもいいや。ああ、もう、他人からどんな風に見られてもいいや。ああ、もう、後生大事にしてきたものなんて、崩壊しちゃってもいいや。

他人の目ばっかり気にしちゃうんだな。
親の目ばっかり気にしちゃうんだな。
優等生を道化すれば、周りから嫌われなくて済むんだな。優等生を道化してきたつもりが、いつしか、本当の自分を置き去りにしてしまっていたんだな。

ああ、優等生って、生きる術。
社会に波風立てずに、生きる術。
好きでやってるわけじゃない、本当の自分は別にいる、そんな発言をしながら、心のバランスを取る。取る。取る。

「ああもう、めんどうくさい」

ごめんなさい、さっきまでの私。
ありがとう、さっきまでの私。
そして、ハロー、今からの私。

優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる


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私には、夫以外、という選択肢もある、と。-書評-『夫以外』

女性にだって、企みはある。
と聞くと、まるで悪意にまみれたものを胸に抱いているようだから。

女性にだって、自分らしい生き方はある。
と、言い換えてみる。

男は、「あたりまえ」に胡座をかいて生きる生き物らしい。
自分の思い描く人生を真っ当するために、あたりまえのように周りは存在するもの。と考える。

私は、家族を支える夫である、威厳のある夫である、勤勉な夫である、真面目な夫である、面倒見の良い夫である、子煩悩な夫である、妻思いの夫である、多趣味な夫である、誠実な夫である、隣家の夫よりも優秀な夫である。

お前は、そんな夫である私の、妻である。
私の、妻である。

女性にも選択の自由はある。
その選択の自由とは、物語ということ。

あなたの妻である、と思っていた。
ということは、あなたの妻じゃなくてもいい、と思う自由もある。

と思う物語もある。

男だからって、他人の人生の選択まで操作できるはずもない。夫だからって、妻を「あたりまえ」の世界に閉じ込めておける権利はない。

こう思われてしまえば一瞬だ。
私には、夫以外、という選択肢もある、と。


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ほんのわずか、僕たちの限られた時間だけは、そうやって、二人ぼっちでいさせてください。-書評- 『人のセックスを笑うな』

恋愛って、すごく閉鎖空間。
君と見つめ合えば、それ以外の景色なんて、何も見えなくなる。
君と一緒にいたいと願う価値観は、世界中のどこを探しても、理解者なんているはずもない。

そんな閉鎖空間。でも、二人で一緒にいる世界は、どんな世界よりも果てしなく広い。

よくよく考えてみれば、「僕が君を好きになる」ことと、「君が僕を好きになる」ことが合致するって、奇跡的。
きっかけや要因はたくさんあれど、これほど多くの人が存在する地球の中で、それは奇跡的。だと思わない?

そんな奇跡で結ばれた二人のはずなのに、「僕が君を好きじゃなくなる」ことや、「君が僕を好きじゃなくなる」こと、「僕も君もお互いのことが好きなのに一緒にいられなくなる」ことや、「一緒にいられなくなることで、だんだんと僕は君を、君は僕を、忘れていく」ことが起こってしまうのは、なぜだろう。

もし、恋や愛を、上手にできる奴がいるとすれば、そいつらがやっているのは、もはや、恋や愛じゃないだろうな。
恋や愛って、心をむき出しにして、感情をむき出しにして、やっぱり不格好なもんだ。そんな不格好な二人だからこそ、美しい思い出が包んでくれるんだ。きっと。

奇跡よ、いつまでも続け、と願っていた輝く日々は、奇跡よ、終わるな、と怯える黒茶色の日々へと変わる。

誤解を襲れずに言うなら。
君と一緒にいられる日々を思うなら。世界中で続く戦争も、飢えに苦しむ子どもたちも、災害で辛い日々を過ごす人たちも、視野に入れない。思考に入れない。世界に入れない。

二人だけの、すごく閉鎖空間。

ほんのわずか、僕たちの限られた時間だけは、そうやって、二人ぼっちでいさせてください。


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恋愛は別腹だと、きっと女は言うだろう。-書評-『サラダ記念日』

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

男女の間には、いくつもの物語がある。流れる時間の一瞬一瞬を切り取れば、そのすべてが、きっと物語になる。感情のすべてを切り取れば、無数の小さな物語になる。

男性は女性を振り回しているのだろうか?
男性が女性に振り回されているのだろうか?
女性は男性に振り回されているのだろうか?
振り回されるのも、恋愛の魅力なのだろうか?

愛する人がいれば、とてもじゃないけれど、冷静じゃいられない。
あたりまえとか、常識とか、普通とか、そんなものさしで、とうてい心は測れない。
どんなことにおいても、感情が反応してしまう。

だからこそ、喜怒哀楽が尖る。

感じてはいるものの、口に出せない言葉や、考えてもいないくせに、口に出してしまう言葉。
寂しいくせに、会うことを拒んでしまう態度や、甘えたいのに強がってしまう態度。
スキなのにキライとか。大スキなのに、大キライとか。

複雑。
恋心。
愛情。
複雑。

スイーツは別腹だと、女は言う。
たとえ、人生がいっぱいいっぱいになっていようと、恋愛は別腹だと、きっと女は言うだろう。

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最悪の状況のまま、最悪の結末を迎えるだけなんだから。-書評-『最悪』

不運な出来事が止めどなく続いたら。人は、やがてその雨は止むだろうと考える。その雨が止むことを信じているし、知っている。だから、不運な出来事が止めどなく続いたとしても、絶望することなく生きていられる。

宝くじだってそうだ。大金は掴めないと諦めつつも、少額の当選はポツリポツリとある。だからこそ、笑っていられる。ツイてない毎日が続いたとしても、やがて、ちょっとしたラッキーやハッピーが訪れることを知っている。だから、大雨が降ってきたとしても、平気でいられる。いつか止むことを信じているから、知っているから。

もし、止まない雨があるとするなら、そして、今降っているこの雨が、止まない雨だと知ったとするなら、人はどうなってしまうんだろう。それでも生きていかなきゃならない。そんな局面で人は、どうなってしまうんだろう。

もしかしたら、僕たちが見ている人々の表情というのは、作られたものであって、日々、すれ違う人たちの中には、止まない雨に打たれて、心を喪失してしまっている人がいるのかも知れない。
たまたま、自分の雨が、いつかあがる種の雨なだけであって、世の中には、たくさん、止まない雨が降っているのかも知れない。

今の世の中、本当に生きにくい世だ思う。特に、社会的弱者にとって。
そんな世に、誰がした? 人だ。人は、人が作り上げたルールの中で、生きにくい状況に追い込まれている。
そのルールの中に、死を選択する自由はあれど、逃げるという選択は用意されていない。
さまざまな要因から、死を選択する必要もなく、逃げるという選択肢がないことを突きつけられる機会も持たない人がたくさんいる。
その反面、逃げるという選択肢がないことを知らされ、恐怖に怯え、残された道が、死しかないという考えを巡らせながら、そこにも同じく恐怖を感じ、身動きがとれなくなったまま、止まない雨に打たれている人もいる。

じっとしていても事態は好転しない。じっとしているだけでは、結末がどんどん近づいてくる。しかし、打つ手、なし。結末がやってくるまでの時間を、ただただやり過ごすだけ。その時間の速度は、遅いのか速いのか。

なんで、こうなってしまったんだろう?
考えても無駄。もはや、事態は好転しない。誰かが助けてくれるわけでもない。自分で自分を救うことは、もはやできない。最悪の状況のまま、最悪の結末を迎えるだけなんだから。

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人は、群像劇の中で、生きている。-書評-『ラッシュライフ』

群像劇について、深く考えてみる。すると、人間の全てが群像劇の主人公であることに気づく。

街ですれ違う人たちや、同じ電車の車両に乗り合わせた人たち。
その瞬間を切り取ってみれば、全く違う人生を歩んでいる人同士が、偶然にも同じ場面に出くわしている。
もうそれ自体が、群像劇。

もしかしたら、電車の中、隣に座るおっちゃん、居眠りこいて頭を垂れた。そのおっちゃんが、いつかどこかで、自分の人生に、大きな影響を与えるかも知れない。

あの日、受注確実とされていた仕事が失注となった背景に、もしかしたらそのおっちゃんが関係しているのかも知れないし、そのおっちゃんは、その向こうに座っているおばちゃんの企みで、失職させられたのかも知れない。
その失職に希望を失い、浴びるようにお酒をあおった結果、僕の肩にこうして今、頭を預けているのかも知れない。

子供の頃、レンタルビデオ屋と本屋が合体した施設の裏に自転車を止めて、本を読んでいたとき、ふと、自転車の前かごにポシェットを置き忘れてきたことを思い出し、取りに戻ったときには時すでに遅し、誰かに盗まれて、影も形もなくなっていた。
あのポシェットを盗んで行ったのは、向こうに座るおばちゃんだったのかも知れない。

買ってもらったばかりのポシェットだったから、悲しくて悲しくて、泣きながら警察署に飛び込んだ。
あの日、泣いている僕に、優しく応対してくれた警察官のおっちゃんに、近い未来、どこかで職務質問を受けるかも知れない。
職務質問されたその瞬間、僕はもしかしたら、どこかのだれかさんの、大切にしている何かを、特別な理由があって、盗んでしまっていて、その警察官のおっちゃんにそれが見つかり、何かしらの罪に問われるかも知れない。

考えだしたら、キリがない。何もかもが群像劇。大衆の場で、どこかの瞬間を切り取れば、それはもう、群像劇。

人は、群像劇の中で、生きている。


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ほら、またニヤけた。人間がまた、ニヤけた。-書評-『ドグラ・マグラ』

街で見かけた人が、ニヤけ顔をする。周りの人からすると、急にニヤけたその顔を見て、違和感を覚える。
当の本人は、周りの人たちに違和感を与えていることもつゆ知らず、ニヤけ顔。
他人の評価を極端なまでに気にする人間が、その周りからの悪評にも意識を配れず、突如として顔をニヤつかせる。その瞬間はまさに、理性がスッポリと抜け落ち、本能がそのニヤけ顔を後押ししている。

もし、人間の秩序や倫理が理性で守られているとしたならば、理性がスッポリと抜け落ちる瞬間、そこにはもう、秩序や倫理さえもスッポリと抜け落ちてしまっていると言える。
フラリと街を歩いている瞬間、電車に揺られている瞬間、ボーッとしている瞬間、そんなありふれた瞬間に、秩序や倫理がスッポリと抜けて落ちてしまう瞬間を持つ人間という生き物は、もしかしたら、我々が考える以上に、凶暴な存在なのかも知れない。

果たして、あなたはあなたを制御できているのだろうか、僕は僕を制御できているのだろうか、生きてきた道のりの中で塗り固められた秩序や倫理なんて、ただの刹那、スッポリと抜け落ちてしまう。それでも、あなたはあなたを制御できるだろうか。

しっかりとした邪心を持って、悪事をはたらく人間、入念に企みながら、人を陥れる人間、そんな悪党はもしかしたら、人間の精神構造からすれば、小童で、一見すると普通に見える人の、刹那のニヤけ顔にこそ、人間の凶暴性と、底なしの残虐性がにじみ出ているのかも知れない。

要するに、人間の細胞だって、人間の精神だって、人間の思考だって、無限なわけであるからして、無限を制御できるわけがなく、じゃあ、あなたが思うあなたは、あなたじゃなく、あなたが考えている程度のあなたは、もはやあなたじゃないわけで、「あなた、実は人を殺していたんですよ」と言われ、そんな意識はございませんと否定するも、「無意識のうちに、人を殺めていたんですよ」と言われ、果たしてそれを完全否定でき得るだけの、あなたにアリバイがあるだろうか。

仮に、寝ている間は、あなたの意識がないとして、じゃあ無意識のうちにも人間は奇怪に動いているものなんだよと仮説。目撃者がいなければ、すぐに否定できるだろうけれど、たったの一人でも目撃者が現れた刹那、あなたの常識は全て崩壊する。そして、あなたがあなたを制御できていないことを実感し、わなわなと震えだす。
自分は自分という存在に操られているのだと気付かされ、その無限の可能性にロマンを感じるも、その無秩序な無限性に畏怖することになる。

ほら、またニヤけた。人間がまた、ニヤけた。


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ただの違いでしかない。だから、好きも嫌いも言わせてもらう。-書評-『五体不満足 完全版』

人間として、全く同じ、なんて有り得ない。
人間同士、お互いの差を意識し、認識しながら、地球の中で共同生活を営んでいる。
その差を強く意識するかどうかのポイントは、個々人の価値観に依存する。あとは、先入観や既成概念。

僕一個人としては、違いがあるのが当たり前で、その違いに種類もクソもない。
違いに種類がない。それはつまり、障害だからとか、病気だからとか、そういった種類がなく、背が高い人低い人、口が臭い人臭くない人、頭がハゲていない人ハゲている人、喋るのが上手い人上手くない人、それらの違いと変わらず、単なる違いでしかない。

そう思わせてくれたのは、生きてきた中で、さまざまな音楽を聴いたり、さまざまな本を読んだり、さまざまな人の考え方に触れたりできたおかげだ。
普通に生きていれば出会わないような表現というものがある。
みんながそれに触れれば、きっと、非難したり、酷評したり、目を伏せたり、無視したりするような表現。
世の中には、そういった素晴らしい表現がたくさんある。
それらに数多く触れてこられたおかげで、さまざまな価値観を受け止めるグローブのサイズが、とても大きくなった。

所詮、みんな右へ倣えで、似たような価値観や文化に埋没することで安心してる。同じような服を着たり、同じような鞄を持って、そのボタンの掛け方だけを工夫して、自分は人と違う、なんて主張してる。
いろんなステータスで着飾って、自分の優越感を保とうとしてる。

違うだろ。

そんなことしたって、人間は人間。アンタはアンタ。髪の毛がクセ毛でみっともなかったり、鼻がひん曲がっていたり、タバコで歯が真っ黄色だったり、指の形がキレイだったり、歌が上手かったり、走るのが遅かったり、睫が短かったり、自転車に乗っていたり、車椅子に乗っていたり、モテない顔をしていたり、陰鬱そうな顔をしていたり、卑屈そうな顔をしていたり、媚びた顔をしていたり。

捏造されたステータスなんかで着飾ってみても、自分の地が、丸見えになってるんだよ、人は。

「障害や病気は、それとは違うだろ」と言われるかも知れない。
じゃあ、障害とも病気とも言われず、健常者で、驚くほどにモテない顔面をしている根暗な男は、どうするんだ?

人は優しくしてくれない。彼に対するバリアフリーは用意されない。周りの人が気を使ってくれることもない。むしろ、逆だ。周りは彼を拒絶し、気持ち悪がり、距離を置くだろう。誰が彼を助ける? 障害や病気を持っている人と一緒にするなって? それはあまりにも現実が見えていない。

障害を持っている人を、健常者と同じように考えようと言ってるんじゃない、障害者よりも不遇で卑屈に生きている健常者だっていることをしっかりと理解することで、結局、どいつもこいつも同じ、ただの違いがある人間同士にしか過ぎないと、言いたいわけだ。


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常盤 英孝
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大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。

どうにかロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける日々。

大阪を盛り上げるべく、たくさんの人と出会い、とにかく"コトを起こす"ことをお酒の肴に呑んだり、わいわいやったり、時には本気で"コトを起こしたり"など。

日々、書き、描き、話し、モノづくりをしています。

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