大阪モダンディスコ

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。 ロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける。

超個人主義時代の到来。旧来の常識と共に沈没してしまわないように、明日へのチケットを探す術とは?-書評-『このままだと、日本に未来はないよね。(ひろゆき)』

そうか。日本は終わるのか。

今回の著書は、日本への悲観論。
これまでの著書と同様、ひろゆき氏が直接執筆しているわけではないだろう。ひろゆき氏の言葉を、出版社や編集者がまとめる、という感じですね。

帯にも「オワコン日本で"おいしく"生きるための未来予測&幸福論」と書かれているように、本著では未来という広いレンジのテーマを扱っている。そのため、話題がスピーディーに移り変わる。
未来の日本がどうなってしまうのか。ひろゆき氏の思考法を通じて未来の手がかりとなる情報収集ができる著書、と言えるのではないだろうか。

特に、第2章の「どうなる!? "オワコン日本"の10年後」を読んでいると、本当に僕らには未来がなさそうだと、心底悲観的になってしまう。

ただ、ひろゆき氏は、『「人と比べない幸せ」が人生をラクにする』とも語っているとおり、そんな世の中でもラクに生きていける方法ってあるよねと、その方法論についても指南してくれている。

だから、悲観する必要はないよね。しっかりと情報収集して、ラクに生きちゃえばいいんだよね。
時代を先読みする思考法、ここにあり、です。


このままだと、日本に未来はないよね。
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自宅に居ながら、旅先で巻き起こる珍妙な出来事に、クスッと胸を躍らせる秀作ショートショート。-書評-『ショート・トリップ(森 絵都)』

旅の目的を、非日常としている人も多いはず。ただでさえ脱日常している空間の中、次々に珍妙な出来事が起こったとしたら……。それはもう愉快で痛快な体験でしかない。

で、それを味わわせてくれるのが、時にショートショートだったりもする。

ショートショートの作品が読みたくて、森 絵都の『ショート・トリップ』を手に取る。森 絵都の作品を読むのは初めてなので、他の作品の文体と比較したわけじゃないけれど、本作の文体はすごくドライで淡々と珍妙なストーリーを語る語り部のような印象を受けた。

語り部の印象とは逆に、景色の描写などがとても美しく、どちらかというと、登場人物たちの感情のほうが無機質な感じがして、すごく新鮮だった。ページを見開いてみると、感情部分がモノクロで、風景描写がカラフル。そんな二極化した映像が、脳内に飛び込んできた。


ショート・トリップ (集英社文庫)
森 絵都
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胸の中から甘酸っぱさが一気に飛びだすキュン作。その答えは、本作のタイトルとラストのワンフレーズにある。-書評-『世界は恋に落ちている(HoneyWorks)』

本作のタイトル『世界は恋に落ちている』と、そして本作のラストのワンフレーズ。
そこがシンクロした瞬間、胸の中から甘酸っぱさが一気に飛びだした。

恋愛って、無敵だね。ドキドキするって、最高だね。

恋に落ちている本人は、想いが伝わらなくてもどかしくなったり、片思いや失恋に苦しんだりと、とにかく感情が暴れまくって落ち着かない。

でも、それをドラマとして観る側は、片思いや失恋、気持ちを伝えるまでのプロセスや気持ちを伝えたあとの展開など、どこをどう切っても恋愛って絵になるもんだから、ドキドキする。

今はもう、キラキラした恋愛をする時期を過ぎた人でも、昔の自分に戻ってドキドキできたり、作品からもらったドキドキを、日々の栄養に変換したりと、やっぱり恋が持つ力ってすごい。

あと、恋って、"人"だけにするもんじゃなかったりするし。
何かの作品に恋したり、自分の夢に恋したりしている人だっていると思う。その根底に溢れている感情そのものが、きっと恋って言うんだろう。

大人ももっと、素直にドキドキすればいいのにな。
歳を重ね、経験が豊かになったもんだから、全部、思考の中で試してみて答えを出してしまう。
で、シミューレーション上、不満足な結果に終わるものには蓋をして、動きもしない。

不満足な結果が見えていても、満足に変えてみせる!
って情熱、みんなが持っていたはずなのにね。

素直に恋して、素直にドキドキ。そうすれば、こんな素晴らしい世界があったなんて、と、いつだって新しい世界に出会えるはず。


世界は恋に落ちている (角川ビーンズ文庫)
香坂茉里
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「すとぷり」の人気が立証!1997年から比べると1.25倍のスピードが主流の音楽シーンについて

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近ごろの「すとぷり」の人気には、ただただ驚かされるばかり。プロモーションの仕掛け方には、目を見張るばかりです。

現在6名で活動しているネットアイドルグループ「すとろべりーぷりんす」こと「すとぷり」。生放送や動画投稿サイトなどで活動されているユニットです。

ライブのチケットを販売すれば、即完売するほどの人気なのは周知の事実。それだけでなく、グッズ販売やプロモーションの仕掛け方もすごく今っぽい。

ファミリーマートのマルチコピー機を活用して、ダウンロードコンテンツを販売すれば、コピー機のインターネット接続が不安定になるほど。ヴィレッジバンガードや限定した特設コーナーのみ期間限定でオープンされるショップには、信じられないほどの長蛇の列。

さらには、1stミニアルバムの予約時に、楽天・Amazon・アニメイト・タワーレコード・ヴィレッジバンガード・オフィシャルグッズ通販サイト「いちごのおうじ商店」で、それぞれ異なる限定特典を設けて予約を行うなど、プロモーションの仕掛け方がユニークでおもしろい。

予約開始と同時に、それぞれのサイトのWebサーバーがダウンし、接続できない状態に。と同時に、Yahoo!の検索急上昇ワードでも上位を独占するなど、とにかくアプローチの仕方が今っぽいんです。

動画投稿サイトで歌い手として人気を集め、ユニットとして規模の大きな成功を収める。芸人であり絵本作家である西野亮廣氏が言う「マネタイズのタイミングを遅らせる」という手法と、見事に合致しているなぁと、感心、納得してしまうばかり。

そんな、すとぷりメンバーの「さとみ」が歌ってみたで公開している『アウトサイダー』を聴いていて、ふと気づいたことがあるのです。続きを読む

人生は短い。時間は限られている。いつまで生きられるか分からない。それなのに、バカに時間や感情を奪われている。-書評-『バカとつき合うな(堀江貴文・西野亮廣)』

「バカとつき合うな」と言われても、「バカとつき合わない」なんてできないよ、だって社会の中で生きてるんだもん。と、いつまでもバカで居続けようとするヤツが、最もバカだと気づいた。

わたくし、かなりのバカたちに、別れを告げました。いや、告げてみました。

すると、どうだろう。日々のストレスがほとんどと言っていいくらい消え去り、今日は肌寒いだの、今日は暖かいだのと、どうやら感覚を取り戻せたみたいで。これって他人の時間を生きていた自分が、自分自身の時間を生きはじめたんだよねと、空を見上げてみたり、本日も晴天なり。

社会の中にいると、矛盾を感じることも多い。理不尽に思うことも多い。泣き寝入りすることだって多いだろう。それらすべてを、バカの仕業だと考えてみる。バカの発言は基本的にバカなので、突き詰めてみると、そこには大した理由も正義もない。

じゃあ答えは、ひとつ。そいつを切ってしまおう。

でも、多くの人はこう言う。「たとえ相手がバカだと理解していても、うまく付き合わなきゃ、人間関係にヒビが入るし、仕事だってもらえなくなる。生活に支障が出てしまう……」、と。

でも、こう考えてみた。

バカを切ったことによって入ったヒビが生活に支障をきたしたり、バカを切ることによって仕事が減って生活ができなくなったり。それって、バカに依存して生きている人生だよねって。そもそも、バカありきの人生を送っているよねって。

それなのに、バカにストレスを溜めてしまっている。これ、無限ループじゃね?

バカを切ったくらいで生活に支障をきたさないためには、そんなヤツに依存しなくても生きていけるスキルだったり周りからの信用を得る必要がある。でも、バカに時間や感情を奪われ、精神的に疲弊してしまっていては、「脱・バカ」に踏み出せない。またしても無限ループ。

で、本著を読んで僕は決意してみました。
後のことはどうなってもいいから、この無限ループから抜け出してみよう。

で、やってみたところ、さすがのバカたちは、あれやこれや攻撃を仕掛けてきたものの、今回ばかりは決意の重さが違う。バカに迎合せず、NOしか言わないスタンスを取り続けた結果、

本日も晴天なり。


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美徳は感じてもらうものであって、決して押し付けるものじゃない。-書評-『世界でバカにされる日本人 - 今すぐ知っておきたい本当のこと(谷本真由美)』

どうやら、世界の人からすると、日本人は嘘つきらしい。

ある外国人の方と会話したときのこと。日本人の印象を尋ねてみると、日本人は嘘つきだと言う。他国の中でも、日本人は嘘つきで有名なんだと言う。僕はそれを否定した。

僕の主張はこうだった。

相手のことを思いやるからこそ、相手の喜ぶことをしてあげたいし、相手に合わせた行動も取りたい。相手が満足することを考えながら、僕たち日本人は行動している、と。

外国人の方の解釈は違った。

自分の本心・本音と違う行動なわけでしょ? それって、自分が本当にやりたいこと、言いたいことと違うわけでしょ? なぜそんなことをするの? それって、嘘でしょ? 相手にとって失礼じゃない?

いやいや、相手にとって良かれと思って行動しているから、それは決して嘘じゃない。相手に喜んでもらいたいというのが、紛れもなく本心であり本音だから、嘘じゃないんだ。

じゃあもし、誰かが作って来てくれたお弁当が、すごく不味かったとするじゃない? それを食べて、日本人は何って言うの?

たとえば、「美味しいんだけど、なかなか独特な味付けだね」とか、味そのものの評価じゃなくて作ってくれたことに対して、ありがとうって言ったり。

でも、心の中は?

もちろん、不味いと思ってる。

じゃあ、嘘じゃん。それって嘘つきじゃん。だから、日本人って信用できないんだよ。顔では笑っているようでも、心の中じゃ笑ってないときだって多いし。その場では「OK!」って言っておきながら、後々になって、実は「OK!」じゃなかったらしいって、周りの人から聞かされたり。結局のところ、何考えてるかわからないんだよね、日本人って。

外国の人とコミュニケーションする機会をほとんど持たずに生きてきた僕は、そのとき、新たな価値観に気づいた。日本人が日本国内において、日本人同士のコミュニケーションを潤滑にするために行うこと、気遣い・遠慮・譲歩・思いやりなどの類は、外国の人からすると嘘に映ることもあるということ。あれは、日本人同士だから成り立つ感情の譲り合いなんだってこと。

僕はそれを日本人の美徳だと胸を張る。ただ、世界に目を向けると、それを美徳に感じない人がたくさんいるし、それを美徳だと胸を張る日本人のほうが、世界という視点で見ればマイノリティなんだということを忘れちゃいけない。

でも、世界でバカにされる日本人ならまだしも、嘘つきだと思われているなんて……。



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「やる奴」と「やらない奴」の2種類の人間しか存在しない時代になりましたよ。-書評-『革命のファンファーレ〜現代のお金と広告〜<西野亮廣>』

「やる奴」と「やらない奴」。
あなたはどっちの人間?

さて皆さん、「やる奴」と「やらない奴」の2種類の人間しか存在しない時代になりましたよ。
才能があるからとかお金があるからとか、そんな条件はもはや存在しない。思い立ったら今すぐにでも攻められる時代になり、自分の意思ひとつで何かを変えられる時代になりましたよ。

いやいや、インターネットがなかった頃は、そりゃ大変でしたよ。インターネット黎明期には、あれこれ試行錯誤して頑張りましたよ。そして整いましたよ。もう、整って久しいですよ。

そして、もうひとつの人間の分類。
それは、「今を生きる人」と「これまでを生きた人」の2種類。

今を生きる人の特徴は、現代にマッチした生き方を知っている人。現代に最適化するようアップデートい続けられる人。とにかく情報をたくさん手にし、とにかく動きまくる人。それが、今を生きる人。

で、これまでを生きた人の特徴は、これまでのやり方を現代に適応させようと頑張る人。これまでの実績を引っさげ、これまでの慣習を微妙にアップデートしながら、心のどこかでこれまでの名誉を誇り、「所詮今の時代なんて」と、酔っ払った際にでもトロッと愚痴がこぼれる人。

既に、革命は起きた。

革命によって価値観は変わった、のではなく、新しい価値観が生まれた。それに気づかない人たち、それに気づけない人たち、それを気づこうとしない人たち。

悲しいことに日本にはこれまでの時代を支えてくれた人の数が多すぎる。そして、その人たちの多くは、新しい価値観に気づかない、気づけない、気づこうとしない。で、その結果、新しい価値観を次代へと推し進める人たちの足を引っ張る。

いいかい?

これまでの歴史において、価値観が変わることなんて何度もあった。だから、これまでを生きた人の多くは、「俺らの時代にも価値観なんて何度も変わったぜ」と胸を張る。だけどそこが間違っている。価値観が変わったんじゃない。新しい価値観が生まれたんだ。だから、過去の数式・方程式・物差しじゃ測れない。

生きているうちに、この革命に立ち会えて良かった。

さぁ、戦う準備は整ったかい?

という言葉が現代には最適なフレーズじゃないってこと、もうわかるよね。
さぁ、準備なんてしなくていいから、とりあえず戦いに行こう。武器はあちらこちらに落ちている。拾いながら強くなろう。大冒険は、レベル1からスタートするからおもしろいんだ。


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衰退していく日本。そして、その中にある企業。あなたの名前は何ですか?-書評-『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』

これからの未来、「食える人」と「食えない人」と「食うための武器」と「食えないことに対する言い訳」だけが存在する世の中になると思う。

作業と呼ばれる仕事の大半はAIが奪っていくだろうし、人間を働かせることが目的の仕事は淘汰されていくだろう。AIに何ができるのかを冷静に分析し、自分の仕事はAIで代替できるだろうか、AIのほうが品質の高いアウトプットができるのではないだろうか、という問いを持ち、考え考え考え、これからの行動を決定していかねばならない。

ルーティーンワークに従事しているなら、それはAIの得意分野だ。気をつけねば。
パソコンに向かって一生懸命、黙々と作業を続ける仕事に従事しているなら、それはAIの得意分野だ。気をつけねば。

で、もっと気をつけねばならないことがある。それは、未来にAIが台頭したとして、凄まじく合理的で効率的な世の中がやってきたとき、人々が裕福になるわけでは、決してない。ここは資本主義社会。世の中を凄まじく合理的で効率的にした仕掛け人だけが裕福になる。そう。人々じゃない。特定の人だけが裕福になる。だから、未来を甘く見ちゃいけない。

ただ、食うための武器は腐るほどある。考えれば作ることだってできるし、組み合わせれば新しいことだってできる。いつまでも成功し続けることは難しいかもしれないが、小さな成功を継続していくことは可能かもしれない。もちろん、成功に至るまでの失敗も、成功に包含する前提で、だ。

これからは、個人の時代。
仕事と自分の名前は、ワンセットだ。
自分の成果を会社の手柄にするな。自分の成果を代理店の手柄にするな。
名もなき仕事は、AIが奪っていく。

衰退していく日本。そして、その中にある企業。その中で、上を目指したとしても、どんな未来が待っているかは想像に易い。

あなたの名前は何ですか?


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金の呪縛、時間の呪縛、常識の呪縛を大破せよ。-書評-『魔法のコンパス〜道なき道の歩き方〜<西野亮廣>』

音楽を聴いたり本を読んだり偉人の名言に触れたりするたび、「生まれたからには楽しく生きたい」「一度きりの人生、一秒も無駄にせず生きたい」と、何度も思い、それでも現実に直面し息苦しさを覚え、気づけばいつも振り出し。そう、まるで人生が二度あるかの如く、ダラダラと無駄に日々をすり減らしてしまっている。

そうなんだよなぁ。人間、死んだら終わりなんだよなぁ。

常識と当たり前に縛られ、自分には自由がないと嘆き、さもそれが人間だよと言い訳せんばかりに極小の自由にしがみつき、昨日と似たような今日、今日と似た明日を過ごす僕ら。
それが罪であるかのように、不毛な毎日を打ち壊すこともなく、それに従うことこそが生きることだと、逃げ、挑まず、自分で自分を言いくるめる。

変えようと思えば変えられるのに。
変わろうと思えば変われるのに。

きっと、気づいて動いた人から、世界は変わる。毎日をドキドキしながら生きる権利は、すべての人に与えられた権利だ。だって、目の前のことにドキドキするかしないかは、自分が決めることだから。

世の中は閉塞感に包まれているけれど、こんなに選択肢の多い時代は、今までになかったはず。
そう、道なき道が、腐るほどたくさんある。

あとは、一歩を踏み出すかどうか。
金の呪縛、時間の呪縛、常識の呪縛を大破せよ。

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論破力をアップさせることで、まだまだ社会は生きやすくなる。-書評-『論破力』

社会の歯車として生きていくことに抵抗のない人。裕福なバックグラウンドを持ち合わせている人。運やら縁やら才能やらを持ち合わせている人。そもそも、そういった人は、論破力という武器を身に着ける必要がないのかもしれない。

だって、自分の都合が悪いように物事が運んだとしても、致命的なほどの傷は負わないだろうし、なんだかんだその先も生きていけるはず。

だから、論破することに価値を見出す人って、切羽詰まった人や、その場をどうしても切り抜けなければならない事情を持った人。つまりは、戦いに勝つことが義務付けられた人。

と、そんな風に思っていたけれど、もしかすると違うのかもしれない。

世の中には非合理的な人がたくさんいて、価値のない常識やどうでもいい拘りを果てしなく重視する人たちがいる。人の一生は限られているというのに、不毛な主観を延々と押し通してくる人たち。
そういった人たちをまともに相手していると、自分の人生の足かせになってしまうし、そんな楽しくない時間を過ごしている暇なんて、本当はないはずなんだ。

だから、そんな奴らは一刀両断して、サッサと次のステージへと進ませてもらう。論破は、そういった類の武器だと思っている。

ただ、世の中には論破じゃ勝てない人たちがいるのも事実。それは、感情という武器で議論を焼き尽くそうとするタイプの人たち。あと、論破という武器で打ち負かし勝利したとしても仕方がない相手もそう。

後者はイメージがつきやすい。家族や恋人がそうだし、友人だってそうだ。
前者は、論理的な話ができない人。事実を説明しているだけなのに、「うるさいんじゃ、このボケ!」と怒鳴りながら殴りかかってくるような人。こういう人にはそもそも、理詰めの論破は通用しない。(ってな人に勝つ方法もあるんだけどね)

ということを踏まえたうえで社会を見渡してみる。コンピューターはどんどんスリムになり高速になる。スマートフォンだってそう。何もかもがスマートになり便利になった。じゃあ、人は?

そう。論破力をアップさせることで、まだまだ社会は生きやすくなる。

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あなたは、かけがえのない誰かを、正しく思ってあげられていますか?-書評-『劇場』

他人の期待に応えようと、他人が期待する演技を続ける。その結果、他人が思う自分像ができあがり、そこから逸脱することが困難になる。他人の期待通りに生きていればいいという楽な側面と、もはやこの世界のどこにも自分などいないのだと突きつけられる無情な側面と。

そんな折、かけがえのない人と出会う。

道化を突き進む人間からすると、かけがえのない人に対して、結論、酷い仕打ちをしてしまう。
なぜなら、平生、他人の期待に応えようと道化を演じ、爽やかで小気味よい表情ばかりを作り続けるその裏側には、疲弊し排他的でドロドロとした表情が潜む。

かけがえのない人だからこそ、薄っぺらい道化の仮面を外して接せられる。そんな、唯一無二の存在でもある。その仮面を必要としない相手だからこそ、かけがえのない人なのだから。

ただ、その仮面のなかには、道化師として他人に笑いや喜びや刺激を与え続ける自分ではなく、醜く下劣で湿りきった自分がいる。
最初の頃はまだいい。かけがえのない人は、その広い心のままに、「他人に隠したいそんな一面すらも曝け出してくれてありがとう」などと言ってくれる。

が、そんな美談は長くは続かない。そんな劣情の牙を受け止め続け、正気を保ち続けられる人間がいるものか。大抵の場合、かけがえのない人のピュアな性格は破壊され、お互い当初のフォルムを失い、バランスが崩れ退廃していく。

申し訳ないとは思いつつも、その負の流れは止められない。なぜなら、そんな自分こそが、演技のない自分そのものだから。

失いたくないものだからこそ、失ってしまいたいとも願う。破壊して、ごめん。という罪の意識と謝罪の念から解放されたいという、どこまでも利己的な思考。そして、それすらも許して欲しいと懇願する。人間とはなんと美しくも惨めな生き物なのだろうか。


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結局死は、イメージのなかにしか存在しないのか?その答えは出ぬまま、今日もふわふわと生きている。-書評-『君の膵臓をたべたい』

ひとは誰しも、自分はきっと今日も明日も生きている、大切なひともきっと今日も明日も生きている、と無意識に思っているのでは? 生きているということが途切れなく続いていくと思っているのでは?

たとえば、知り合いだった誰かが、今はもう亡くなっているということを知らされたとき、その人のいない今日を想像してみたり、在りし日のそのひとの姿や、ともに過ごした時間を思い返してみたりする。

仲の深い誰かが、突然亡くなってしまうこともある。悲しみのどん底に突き落とされ、それでも時間が幾度となく心の療養を試み、乗り越えたような素振りを見せながら、気丈に日々を生きていくことになる。

問題は、大切な誰かの、命が尽きることが決定付けられたときだ。

君は仮に寿命が残り三ヶ月だと知ったら何をする? そうだな、悔いの残らないように生きるかな。一分も一秒も無駄にせず、全力で生きるかな。最後を迎える、その日まで。

きっとそんなドラマみたいに明快な時間は続きやしない。もっともっと捻れるはずだ。きっともっと抗うだろうし、心が何度もベキベキに折られるに違いない。余命を知った本人も。それを見届けなければならない、周りのひとたちも。

ふと、思う。

あいつはもう、亡くなってしまって、今はこの世にいない。
もし、あいつが宇宙開発のため地球から離れることになり、もう二度と会えなくなるんだ、と告げられたとして、そういった場合、あいつを欠いた僕の現実は、あいつが死んでしまった今の現実と、どのように異なる意味を持つのだろうか。

結局死は、イメージのなかにしか存在しないのか?
その答えは出ぬまま、今日もふわふわと生きている。

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有限の言葉で無限の感情を伝える素晴らしき人間の生き様をご覧ください。-書評-『残像に口紅を』

言葉がなくとも心を通わせることはできよう。ただし、言葉がなければ「正しく」心を通わせることはできまい。言葉が不十分なために数多の誤解が生まれ、その誤解を解こうと焦り躍起になる。その最中、またさらに新たな誤解が生じ、余計に人間関係は拗れる。

音楽や身振り手振りで心が通じることもあるだろう。しかし、言葉がすれ違うことによって、壊滅的に人間関係が崩壊することだってある。ほら、それを修復しようと試みるのだって、やっぱり言葉じゃないか。

ただ、侮ることなかれ、人間の「何かを訴えたい、伝えたいという衝動」は凄まじいもので、その最たるものが生まれたての赤ん坊。僕らは生まれた瞬間にして、人間として最も強烈で強靭な伝える術を備えていることを証明する。そうして生きていくうち、その伝える能力を弱体化させる悪魔のような「言葉」というものを身につけていく。あの生まれた瞬間の初期衝動を否定するかのように、言葉に身を寄せ、どんどんと主張を飲み込んで行く。

なんだ? 叫ぶだけでは物足りないのだろうか? 喚くだけでは物足りないのだろうか? 岩をも砕かんとする強い主張をひた隠すことは、誰から学んだことだろう? 誰に義務付けられたことだろう?

小器用にも言葉を身につけた僕らはもう、言葉を捨てることでは赤ん坊に戻ることはできない。きっと、思考や伝達手段を失うことが産み落とすジレンマに苛まれ、破裂寸前の風船のようにメリメリと伝達欲求が肥大化する。おそらくついには発狂してしまうだろう。その様が、まるで赤ん坊のようである可能性はある。しかし、一体その様が何を表現しようというのだろう。

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教科書はまだ、ない。だって、答えすらまだない未来だから。-書評-『ミライの授業』

未来のことを考えるとき、ひとまず過去に目を向けてみる。すると、過去から未来へと伸びる線のうえに、間違いなく僕たちが立っていることがわかる。僕たちは、過去からやってきて、未来へと向かう生き物だ。

多くの人たちは、これからの未来を悲観しているようだけど、僕には可能性で溢れかえっているようにしか見えない。近ごろの技術的発展は凄まじいほどに目まぐるしい。未来をこうして今、見つめられることに胸は躍る。現代に生きるすべての人たちは、少なくとも未来を創っていく一員になれる可能性を秘めている。それを思うと、さらに胸は高鳴る。

そして、これからの子どもたちは、もっと多くの可能性を秘めている。やれ「将来的に年金は満額支払われないだろう」とか、「65歳以上の高齢者を1.3人で支えていかなければならない」とか、暗い話題で若者や子どもたちを悲観させようとするけれど、未来は必ず変わるし変えられる。

もはや、当たり前のように学校に行き、数十年前と同じ教育を受け、進学し、卒業し、企業に就職し、安定した収入を得るようなモデルは破綻している。正直、未来の創り方を知らない教師たちが、子どもたちに何を教えられるのだろうかと、大いに疑問を抱いてしまう。

だったら過去に学ぼう。過去の人たちが、どうやって未来を創ってきたのか。そのやり方を知り、その考え方を知り、そして未来への一歩を踏み出せるようになろう。

ミライの授業。
教科書はまだ、ない。だって、答えすらまだない未来だから。
可能性と楽しみだけを胸に、しっかりとミライの授業を受けて欲しい。


ミライの授業
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さぁ、デジタルよ。老害たちをぶっ潰そうぜ。どこまでやれるか、テクノロジーの底力を見せてやろうじゃないか。-書評-『日本再興戦略』

ここ数年、日本の未来を憂う意見ばかりを聞くようになった。少子高齢化が進む。税金があがる。景気が衰退する。他国が攻めてくる。そんな話にばかり脅かされ、抜本的な改善策が見出されぬまま、流れに身を任せるしかないような風潮が蔓延っている。

しかし、よくよく考えてみると、今の考え方・今の知識・今の技術から延長しただけの発想をもってしても、事態がよくならないのは当然。で、それに対峙するためには、今を生きる人たちが、「は? 何言ってるか意味わからん」「は? そんなこと夢物語に過ぎないね」と嘲笑するような発想が必要だということに気づいた。

たとえば、タイムマシーンを使って昭和に戻ってみる。で、昭和を生きる人たちに、「スマホってものがあってねぇ。めちゃくちゃ便利なのよ!」って言ってみたところで、「なにこいつ? 頭イカれてんじゃね? そんなことできるわけないっしょ」と、バカにされるはず。

これまで幾度となく、万人に理解されずバカにされたものたちが世の中を変えてきたことを知っているはずなのに、頭の固い大人たちは相変わらず、「なにこいつ? 頭イカれてんじゃね? そんなことできるわけないっしょ」と嘲笑する。それが、自らが憂う日本の未来を大きく変えてくれるかもしれないのに。

デジタル。

我々の未来をデジタルに託したいと思った。

個人的にはアナログ大好き。デジタル便利。という人間だったけれども、やはりこれからの日本には、デジタルの力は必要不可欠だと強く認識した。

馬車から自動車には乗り換えられた人間。手紙からメールには乗り換えられた人間。にも関わらず、デジタルへの乗り換えには異論を唱える人たちが多い。便利になるだけじゃなく、再びアナログを照らす力さえも、デジタルにはあるというのに。


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過去を懐かしむことで未来に蓋をするのではなく、未来を照らすために過去から跳躍する、そんな転換期が訪れたんだろう。-書評-『超AI時代の生存戦略』

これまでの世界とこれからの世界は、まったく別物になるだろう。もちろん、どこからを「これから」と定義するのかという議論はあるものの、我々市民レベルが人工知能を意識しはじめるタイミング、いや、無意識のところで数多の人工知能が活かされはじめるタイミングこそが、これからの世界なのではないだろうか。

人口知能はディープラーニングを続けることによって、どんどんと進化を続ける。ひとりの人間の進歩や成長に制限や限度があるのに対し、人口知能は世界中の知と経験を吸収しながら、どこまでも進化し続ける。

通信機器や電化製品にAIが搭載されはじめた昨今。まだまだ「AIなんてツールだ」的な議論が目立つが、AIと人間が融合した先にある「人間の魅力の打ち出し方」について、そろそろ考え始めたほうがいいような気がする。

「AIが担うことによって、今現在の仕事の多くが自動化され、たくさんの人が職を奪われることになるだろう」という、まるで人口知能と人間が戦争でも起こすのかと言わんばかりの煽り文を目にするが、そうじゃない。

今、世の中に溢れている仕事に留まらない存在に、人間が駆け上がっていくための、必然的な進歩の機会なんだと思う。これまで人間が「無駄」に積み上げてきたものと、それをゼロから積み上げ直す次世代への教育を完璧に改善し、人が本当に「今」を生きるために、人口知能は人口知能としての最低限の働きをしてくれるのではないだろうか。

過去を懐かしむことで未来に蓋をするのではなく、未来を照らすために過去から跳躍する、そんな転換期が訪れたんだろう。



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これまでの積み上げで未来を予測しようとすると、大きく方向性を誤ってしまう。-書評-『団塊の後』

未来を予測するということは、自分が会得した知識をもとに、それらを発展させたり膨らませたり組み合わせたり掛け合わせたりして、像を創り上げること。細やかな知識を持っている人であればあるほど、人々を納得させられる未来予測が描けるはずだ。

ただ、この、会得した知識をもとに、ってところがポイント。これまでの過去の知識は会得でき得るものだったかもしれないけれど、これからの知識は「これまでの常識を積み上げてきた人たち」にとって、その積み上げてきたものを、一度破壊しなければ飲み込めない類のものである場合が多い。

めちゃくちゃシンプルに言うと、たとえば大阪しか知らない人間が、東京の街のことを紹介されたとする。そういったとき、大阪しか知らない人の多くは、「あぁ、大阪でいうところの、京橋って感じやね」などと言う。

未だ知らなかった街という新しい価値観が訪れているのにも関わらず、既存の知識、こういった街は京橋的な街だという過去の積み上げに依存してしまう。そして、その東京の街が実際は、大阪の京橋よりもより発展した街だったとしても、一旦は京橋という枠に当てはめ、京橋のサイズで測ろうとしてしまう。

確かに新しい価値観を受け入れるとき、古い価値観との違いをもって理解したり、古い価値観との差分で理解しようとすることもある。ただし、これからの世の中は、そうはいかない。これまでの積み上げで予測しようとすると、大きく方向性を誤ってしまうことだろう。

なぜなら、とある時点で多くの年配の方たちが、そのあまりのスピードの速さゆえ、インターネットがもたらす技術革新から目を背け始めたからだ。その時点で、過去と未来は分断されたはず。これからは個々人がパラレルな世界に住まうような時代になるだろう。

過去から未来を予測するのではなく、未来に生まれるであろう技術や産業から今日までの道のりを逆算し、その道のりを予測と呼ぶほうが相応しい時代なんじゃないだろうか。


団塊の後 三度目の日本
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その手に触れるだけで感じられる温かみの、その圧倒的な幸せを、もう一度、噛み締めてみたくなる。-書評-『今夜、ロマンス劇場で』

恋とはある種、憧れのようなもの。
叶うことで手に入るものであるのと同時に、失うものでもあるような気がする。

叶わなかった恋のエピソードに耳を傾けてみると、たしかにモノクロになってはいるものの、その輪郭はどこまでも鮮明で、いつまでもその憧れを失わずにいられそうな気がする。その反面、叶った恋は、どうにかすると愚痴っぽくなってしまう。

それはなぜか?

恋とは憧れのようなものでありながら、叶え続けるものであるということを忘れてしまうから。

恋愛には障壁がつきもので、その壁が高ければ高いほど、それを克服しようと努める二人の姿は美しい。その様子を描いた恋愛の物語は、過去から現在、未来に至るまで無数にあるだろう。それほど人は、壁を越えようとする二人の物語に胸を打たれる。

ただ、本当の物語は壁を越えたあともまだまだ続く。実は越えた壁の向こう側のほうが、美しい景色は多いもの。二人で手をつなぎながら、新しい景色を紡いでいける。何気ない一日を、思い出の一日に変えていける。それができることの素晴らしさを忘れてしまわなければ。

恋の物語は僕たちの現実に、失いかけていたロマンスを取り戻させてくれる。手に触れられることの素晴らしさを改めて思い出させてくれるだけでなく、手に触れられることのできる人が、すぐそばにいるということの素晴らしさにも、改めて気づかせてくれる。

その手に触れるだけで感じられる温かみの、その圧倒的な幸せを、もう一度、噛み締めてみたくなる。


今夜、ロマンス劇場で (集英社文庫)
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偶然か必然か、朝、いつもどおりに目が覚めた今日という一日を、目一杯生きてみたいと思った。-書評-『ミスミソウ』

命さえあれば、あとはもうどうだっていい。

不本意な理由で命を落とさなければならない。それほど悲しいものはない。
不本意な理由で命の危機を感じたなら、どこまでもどこまでも逃げて欲しい。

人が人である限り、イジメはなくならない。それは学校のなかだけじゃなく、社会にも蔓延っている。多くの人と関わり合って生きていくこの社会のなかでは、何がイジメのきっかけになるかすらわからない。

イジメが多様化した昨今、攻撃は暴力だけに留まらない。
集団生活において、その存在を無いものとする、無視という攻撃もあるだろうし、このデジタル社会、SNSの世界でコミュニティから爪弾きにする攻撃もあるだろう。

学校でイジメに遭っているなら、無理して学校に行かなくてもいいよ。そんな方法だけでは救えない、複雑な時代になっているのは間違いない。

だからこそ、逃げて欲しい。どこまでも逃げて欲しい。奴らが学校の外、会社の外まで追いかけてくるようなら、とことん逃げて欲しい。奴らがイジメをして得る快感と、標的を追い続けるためにかかる労力コストを考え、奴らが割に合わないと諦めてしまうまで、どこまでも逃げて欲しい。

人はみんな、いつか死んでしまうけれど、死んでしまうその日まで、生きていく権利は全員にある。あたりまえのことだけれど、不本意なことが人の命を奪う権利は、絶対にない。

慌ただしい毎日、生きていることすら実感しない瞬間が続く。
でも、命はある。命がある。
偶然か必然か、朝、いつもどおりに目が覚めた今日という一日を、目一杯生きてみたいと思った。


ミスミソウ 完全版 全2巻セット


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日本人。もっと自己を主張しよう。青春には年齢制限なんかない。-書評-『青春論』

青春とはなんだろう。改めてそれについて深く考えてみると、それは自己の主張のような気がした。
世の大人たちは、歳をとるにつれ、社会的な立場からの自己の主張は得意になる。そして、それ以外は、一般論をふんだんに備えていることを誇るようになる。つまりは、自己の主張が希薄になる。

となるとだ、たとえ若者であったとしても、自己を主張せずに、ふんわりふわふわと生きていては、青春を過ごしているということにならない。魅力を欠いた大人たちと、何ら変わらないということだ。

で、じゃあ自己の主張って、どうやったらええのん? となる。夢とか追いかけて、キラキラと輝いていることが自己の主張か? そうではない。夢なんかなくてもいい。夢など追わずに、ふんわりふわふわと生きていてもいい。ただ、「自分には夢などなく、ふんわりふわふわと生きているんだ」という確たる主張が必要なわけだ。

今やスマートフォンで手軽にコミュニケーションを取れる。企業が用意したスタンプに触れさえすれば、定型化された会話ができる。自分の言葉など使わなくても、おはよう、こんにちは、おやすみ、疲れた、好き、人間にとって最低限以上の会話は、スタンプを選択するだけで伝えられる。とてもお手軽でお気楽だ。

そりゃ、表現することも面倒臭くなるわなぁ。

不自由だった日々から、少しずつ自由が増え、自分は自由なんだと錯覚しながら、檻のなかで叫ぶ青春時代。そんな時代は今は昔。もはやそんな感傷的な時代じゃないよと、青春という言葉が、現役引退させられようとしている。

日本人。もっと自己を主張しよう。青春には年齢制限なんかない。


青春論 (角川ソフィア文庫)
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著者

常盤英孝(ときわひでたか)

3分程度で読めるショートショートと呼ばれるショートストーリー書き。 あとは、エッセイやコンテンツライティングなどの物書き全般と、Webデザイン、チラシデザイン、広告、Webマーケティング、おしゃべりなどをやっています。




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