大阪モダンディスコ

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。 ロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける。

やっぱり、女と男に答えはない。-書評-『チョコレート革命』

自分で決めつけた自分、他人が決めつけた自分のイメージ、他人が決めつけた自分のイメージを自分自身だと思い込んでいる自分、自分で決めつけた限界、自分で決めつけた限界を超えられないと決めつけた自分、自分で作り上げた自分らしさ、他人が決めつけた自分らしさ、ずっとずっと、その枠の中で、その柵の中で、強がるときも吠えるときも、その枠の中で、その柵の中で、その檻の中で、ずっとずっと。

何かを変える瞬間や、何かが変わる瞬間というのは、イメージしているよりもっと乱暴で、突然で、絵にならなくて、それで清々しい。
頭で考えていることは、所詮、頭で考えていること。これまでの知識や経験で出している答えは、所詮、これまでの自分の中にしかない答え。

それらが、ぶっ飛ぶ。それらを、ぶっ飛ばす。
ほうら、豪速球が飛んできた。頭で反応するんじゃなくって、心と体が反応する。
ああ、もう、昨日と明日がリンクしなくなってもいいや。ああ、もう、他人からどんな風に見られてもいいや。ああ、もう、後生大事にしてきたものなんて、崩壊しちゃってもいいや。

他人の目ばっかり気にしちゃうんだな。
親の目ばっかり気にしちゃうんだな。
優等生を道化すれば、周りから嫌われなくて済むんだな。優等生を道化してきたつもりが、いつしか、本当の自分を置き去りにしてしまっていたんだな。

ああ、優等生って、生きる術。
社会に波風立てずに、生きる術。
好きでやってるわけじゃない、本当の自分は別にいる、そんな発言をしながら、心のバランスを取る。取る。取る。

「ああもう、めんどうくさい」

ごめんなさい、さっきまでの私。
ありがとう、さっきまでの私。
そして、ハロー、今からの私。

優等生と呼ばれて長き年月をかっとばしたき一球がくる


チョコレート革命
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私には、夫以外、という選択肢もある、と。-書評-『夫以外』

女性にだって、企みはある。
と聞くと、まるで悪意にまみれたものを胸に抱いているようだから。

女性にだって、自分らしい生き方はある。
と、言い換えてみる。

男は、「あたりまえ」に胡座をかいて生きる生き物らしい。
自分の思い描く人生を真っ当するために、あたりまえのように周りは存在するもの。と考える。

私は、家族を支える夫である、威厳のある夫である、勤勉な夫である、真面目な夫である、面倒見の良い夫である、子煩悩な夫である、妻思いの夫である、多趣味な夫である、誠実な夫である、隣家の夫よりも優秀な夫である。

お前は、そんな夫である私の、妻である。
私の、妻である。

女性にも選択の自由はある。
その選択の自由とは、物語ということ。

あなたの妻である、と思っていた。
ということは、あなたの妻じゃなくてもいい、と思う自由もある。

と思う物語もある。

男だからって、他人の人生の選択まで操作できるはずもない。夫だからって、妻を「あたりまえ」の世界に閉じ込めておける権利はない。

こう思われてしまえば一瞬だ。
私には、夫以外、という選択肢もある、と。


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ほんのわずか、僕たちの限られた時間だけは、そうやって、二人ぼっちでいさせてください。-書評- 『人のセックスを笑うな』

恋愛って、すごく閉鎖空間。
君と見つめ合えば、それ以外の景色なんて、何も見えなくなる。
君と一緒にいたいと願う価値観は、世界中のどこを探しても、理解者なんているはずもない。

そんな閉鎖空間。でも、二人で一緒にいる世界は、どんな世界よりも果てしなく広い。

よくよく考えてみれば、「僕が君を好きになる」ことと、「君が僕を好きになる」ことが合致するって、奇跡的。
きっかけや要因はたくさんあれど、これほど多くの人が存在する地球の中で、それは奇跡的。だと思わない?

そんな奇跡で結ばれた二人のはずなのに、「僕が君を好きじゃなくなる」ことや、「君が僕を好きじゃなくなる」こと、「僕も君もお互いのことが好きなのに一緒にいられなくなる」ことや、「一緒にいられなくなることで、だんだんと僕は君を、君は僕を、忘れていく」ことが起こってしまうのは、なぜだろう。

もし、恋や愛を、上手にできる奴がいるとすれば、そいつらがやっているのは、もはや、恋や愛じゃないだろうな。
恋や愛って、心をむき出しにして、感情をむき出しにして、やっぱり不格好なもんだ。そんな不格好な二人だからこそ、美しい思い出が包んでくれるんだ。きっと。

奇跡よ、いつまでも続け、と願っていた輝く日々は、奇跡よ、終わるな、と怯える黒茶色の日々へと変わる。

誤解を襲れずに言うなら。
君と一緒にいられる日々を思うなら。世界中で続く戦争も、飢えに苦しむ子どもたちも、災害で辛い日々を過ごす人たちも、視野に入れない。思考に入れない。世界に入れない。

二人だけの、すごく閉鎖空間。

ほんのわずか、僕たちの限られた時間だけは、そうやって、二人ぼっちでいさせてください。


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恋愛は別腹だと、きっと女は言うだろう。-書評-『サラダ記念日』

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

男女の間には、いくつもの物語がある。流れる時間の一瞬一瞬を切り取れば、そのすべてが、きっと物語になる。感情のすべてを切り取れば、無数の小さな物語になる。

男性は女性を振り回しているのだろうか?
男性が女性に振り回されているのだろうか?
女性は男性に振り回されているのだろうか?
振り回されるのも、恋愛の魅力なのだろうか?

愛する人がいれば、とてもじゃないけれど、冷静じゃいられない。
あたりまえとか、常識とか、普通とか、そんなものさしで、とうてい心は測れない。
どんなことにおいても、感情が反応してしまう。

だからこそ、喜怒哀楽が尖る。

感じてはいるものの、口に出せない言葉や、考えてもいないくせに、口に出してしまう言葉。
寂しいくせに、会うことを拒んでしまう態度や、甘えたいのに強がってしまう態度。
スキなのにキライとか。大スキなのに、大キライとか。

複雑。
恋心。
愛情。
複雑。

スイーツは別腹だと、女は言う。
たとえ、人生がいっぱいいっぱいになっていようと、恋愛は別腹だと、きっと女は言うだろう。

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最悪の状況のまま、最悪の結末を迎えるだけなんだから。-書評-『最悪』

不運な出来事が止めどなく続いたら。人は、やがてその雨は止むだろうと考える。その雨が止むことを信じているし、知っている。だから、不運な出来事が止めどなく続いたとしても、絶望することなく生きていられる。

宝くじだってそうだ。大金は掴めないと諦めつつも、少額の当選はポツリポツリとある。だからこそ、笑っていられる。ツイてない毎日が続いたとしても、やがて、ちょっとしたラッキーやハッピーが訪れることを知っている。だから、大雨が降ってきたとしても、平気でいられる。いつか止むことを信じているから、知っているから。

もし、止まない雨があるとするなら、そして、今降っているこの雨が、止まない雨だと知ったとするなら、人はどうなってしまうんだろう。それでも生きていかなきゃならない。そんな局面で人は、どうなってしまうんだろう。

もしかしたら、僕たちが見ている人々の表情というのは、作られたものであって、日々、すれ違う人たちの中には、止まない雨に打たれて、心を喪失してしまっている人がいるのかも知れない。
たまたま、自分の雨が、いつかあがる種の雨なだけであって、世の中には、たくさん、止まない雨が降っているのかも知れない。

今の世の中、本当に生きにくい世だ思う。特に、社会的弱者にとって。
そんな世に、誰がした? 人だ。人は、人が作り上げたルールの中で、生きにくい状況に追い込まれている。
そのルールの中に、死を選択する自由はあれど、逃げるという選択は用意されていない。
さまざまな要因から、死を選択する必要もなく、逃げるという選択肢がないことを突きつけられる機会も持たない人がたくさんいる。
その反面、逃げるという選択肢がないことを知らされ、恐怖に怯え、残された道が、死しかないという考えを巡らせながら、そこにも同じく恐怖を感じ、身動きがとれなくなったまま、止まない雨に打たれている人もいる。

じっとしていても事態は好転しない。じっとしているだけでは、結末がどんどん近づいてくる。しかし、打つ手、なし。結末がやってくるまでの時間を、ただただやり過ごすだけ。その時間の速度は、遅いのか速いのか。

なんで、こうなってしまったんだろう?
考えても無駄。もはや、事態は好転しない。誰かが助けてくれるわけでもない。自分で自分を救うことは、もはやできない。最悪の状況のまま、最悪の結末を迎えるだけなんだから。

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人は、群像劇の中で、生きている。-書評-『ラッシュライフ』

群像劇について、深く考えてみる。すると、人間の全てが群像劇の主人公であることに気づく。

街ですれ違う人たちや、同じ電車の車両に乗り合わせた人たち。
その瞬間を切り取ってみれば、全く違う人生を歩んでいる人同士が、偶然にも同じ場面に出くわしている。
もうそれ自体が、群像劇。

もしかしたら、電車の中、隣に座るおっちゃん、居眠りこいて頭を垂れた。そのおっちゃんが、いつかどこかで、自分の人生に、大きな影響を与えるかも知れない。

あの日、受注確実とされていた仕事が失注となった背景に、もしかしたらそのおっちゃんが関係しているのかも知れないし、そのおっちゃんは、その向こうに座っているおばちゃんの企みで、失職させられたのかも知れない。
その失職に希望を失い、浴びるようにお酒をあおった結果、僕の肩にこうして今、頭を預けているのかも知れない。

子供の頃、レンタルビデオ屋と本屋が合体した施設の裏に自転車を止めて、本を読んでいたとき、ふと、自転車の前かごにポシェットを置き忘れてきたことを思い出し、取りに戻ったときには時すでに遅し、誰かに盗まれて、影も形もなくなっていた。
あのポシェットを盗んで行ったのは、向こうに座るおばちゃんだったのかも知れない。

買ってもらったばかりのポシェットだったから、悲しくて悲しくて、泣きながら警察署に飛び込んだ。
あの日、泣いている僕に、優しく応対してくれた警察官のおっちゃんに、近い未来、どこかで職務質問を受けるかも知れない。
職務質問されたその瞬間、僕はもしかしたら、どこかのだれかさんの、大切にしている何かを、特別な理由があって、盗んでしまっていて、その警察官のおっちゃんにそれが見つかり、何かしらの罪に問われるかも知れない。

考えだしたら、キリがない。何もかもが群像劇。大衆の場で、どこかの瞬間を切り取れば、それはもう、群像劇。

人は、群像劇の中で、生きている。


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ほら、またニヤけた。人間がまた、ニヤけた。-書評-『ドグラ・マグラ』

街で見かけた人が、ニヤけ顔をする。周りの人からすると、急にニヤけたその顔を見て、違和感を覚える。
当の本人は、周りの人たちに違和感を与えていることもつゆ知らず、ニヤけ顔。
他人の評価を極端なまでに気にする人間が、その周りからの悪評にも意識を配れず、突如として顔をニヤつかせる。その瞬間はまさに、理性がスッポリと抜け落ち、本能がそのニヤけ顔を後押ししている。

もし、人間の秩序や倫理が理性で守られているとしたならば、理性がスッポリと抜け落ちる瞬間、そこにはもう、秩序や倫理さえもスッポリと抜け落ちてしまっていると言える。
フラリと街を歩いている瞬間、電車に揺られている瞬間、ボーッとしている瞬間、そんなありふれた瞬間に、秩序や倫理がスッポリと抜けて落ちてしまう瞬間を持つ人間という生き物は、もしかしたら、我々が考える以上に、凶暴な存在なのかも知れない。

果たして、あなたはあなたを制御できているのだろうか、僕は僕を制御できているのだろうか、生きてきた道のりの中で塗り固められた秩序や倫理なんて、ただの刹那、スッポリと抜け落ちてしまう。それでも、あなたはあなたを制御できるだろうか。

しっかりとした邪心を持って、悪事をはたらく人間、入念に企みながら、人を陥れる人間、そんな悪党はもしかしたら、人間の精神構造からすれば、小童で、一見すると普通に見える人の、刹那のニヤけ顔にこそ、人間の凶暴性と、底なしの残虐性がにじみ出ているのかも知れない。

要するに、人間の細胞だって、人間の精神だって、人間の思考だって、無限なわけであるからして、無限を制御できるわけがなく、じゃあ、あなたが思うあなたは、あなたじゃなく、あなたが考えている程度のあなたは、もはやあなたじゃないわけで、「あなた、実は人を殺していたんですよ」と言われ、そんな意識はございませんと否定するも、「無意識のうちに、人を殺めていたんですよ」と言われ、果たしてそれを完全否定でき得るだけの、あなたにアリバイがあるだろうか。

仮に、寝ている間は、あなたの意識がないとして、じゃあ無意識のうちにも人間は奇怪に動いているものなんだよと仮説。目撃者がいなければ、すぐに否定できるだろうけれど、たったの一人でも目撃者が現れた刹那、あなたの常識は全て崩壊する。そして、あなたがあなたを制御できていないことを実感し、わなわなと震えだす。
自分は自分という存在に操られているのだと気付かされ、その無限の可能性にロマンを感じるも、その無秩序な無限性に畏怖することになる。

ほら、またニヤけた。人間がまた、ニヤけた。


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ただの違いでしかない。だから、好きも嫌いも言わせてもらう。-書評-『五体不満足 完全版』

人間として、全く同じ、なんて有り得ない。
人間同士、お互いの差を意識し、認識しながら、地球の中で共同生活を営んでいる。
その差を強く意識するかどうかのポイントは、個々人の価値観に依存する。あとは、先入観や既成概念。

僕一個人としては、違いがあるのが当たり前で、その違いに種類もクソもない。
違いに種類がない。それはつまり、障害だからとか、病気だからとか、そういった種類がなく、背が高い人低い人、口が臭い人臭くない人、頭がハゲていない人ハゲている人、喋るのが上手い人上手くない人、それらの違いと変わらず、単なる違いでしかない。

そう思わせてくれたのは、生きてきた中で、さまざまな音楽を聴いたり、さまざまな本を読んだり、さまざまな人の考え方に触れたりできたおかげだ。
普通に生きていれば出会わないような表現というものがある。
みんながそれに触れれば、きっと、非難したり、酷評したり、目を伏せたり、無視したりするような表現。
世の中には、そういった素晴らしい表現がたくさんある。
それらに数多く触れてこられたおかげで、さまざまな価値観を受け止めるグローブのサイズが、とても大きくなった。

所詮、みんな右へ倣えで、似たような価値観や文化に埋没することで安心してる。同じような服を着たり、同じような鞄を持って、そのボタンの掛け方だけを工夫して、自分は人と違う、なんて主張してる。
いろんなステータスで着飾って、自分の優越感を保とうとしてる。

違うだろ。

そんなことしたって、人間は人間。アンタはアンタ。髪の毛がクセ毛でみっともなかったり、鼻がひん曲がっていたり、タバコで歯が真っ黄色だったり、指の形がキレイだったり、歌が上手かったり、走るのが遅かったり、睫が短かったり、自転車に乗っていたり、車椅子に乗っていたり、モテない顔をしていたり、陰鬱そうな顔をしていたり、卑屈そうな顔をしていたり、媚びた顔をしていたり。

捏造されたステータスなんかで着飾ってみても、自分の地が、丸見えになってるんだよ、人は。

「障害や病気は、それとは違うだろ」と言われるかも知れない。
じゃあ、障害とも病気とも言われず、健常者で、驚くほどにモテない顔面をしている根暗な男は、どうするんだ?

人は優しくしてくれない。彼に対するバリアフリーは用意されない。周りの人が気を使ってくれることもない。むしろ、逆だ。周りは彼を拒絶し、気持ち悪がり、距離を置くだろう。誰が彼を助ける? 障害や病気を持っている人と一緒にするなって? それはあまりにも現実が見えていない。

障害を持っている人を、健常者と同じように考えようと言ってるんじゃない、障害者よりも不遇で卑屈に生きている健常者だっていることをしっかりと理解することで、結局、どいつもこいつも同じ、ただの違いがある人間同士にしか過ぎないと、言いたいわけだ。


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自分の仕事をもっと愛してやろうと感じ、仕事に注ぐ熱量をもっと増やしたくなる作品。-書評-『舟を編む』

以前、料理の世界において、プロとアマチュアの違いを尋ねられた料理人が答えたコメントが、自分の中での、プロの指標として残っている。

「近ごろではインターネットも普及し、レシピのアプリなども人気を博していることから、アマチュアでもレベルの高い料理を作ることが可能となっている。しかし、アマチュアの人が作る料理には、レベルの高いものもあれば、そうでないものもある。得意料理を作らせれば高いレベルのものが作れるかも知れないが、そうでない料理の場合は、高いレベルを維持できない。そこが、アマチュアがアマチュアたる所以。プロはレベルの高さにムラがあってはならない。プロは毎回、一定レベルを超えた、質の高いものを確実に作り出すことができるし、作り出し続けることができる。それがプロである」

詳細に差異はあれど、こういった主旨のコメントだった。

アマチュアのレベルの高さも認めたかのように見えて、その実、プロとの圧倒的な差について言及している。
プロはレベルの高いものを作り続けられる。確実に、作り続けられる。

好きなものを仕事にできれば幸せだ、なんてことをよく耳にするけれど、子供に言うならまだしも、ある程度の年齢を重ねた人間にとっては、漠然とし過ぎている。

今現在、月に何度かライブハウスに出演しながら、好きな音楽で飯を食って行こうと夢見ている人も多いかも知れない。
今は音楽が『好きなこと』かも知れないが、アマチュアとプロは違う。月に何本か程度の演奏じゃ済まない。売れれば売れるほど、月にこなさなければならないライブの本数やスケジュールも過密する。
そして何より、気楽にライブハウスで演奏している頃とは違い、高額なチケットを購入し、ライブに来てくれたお客さんを、必ず満足させなければならない。同じ会場で3デイズのスケジュールがあれば、初日も中日も最終日も、常に同じテンションと同じ演奏力でもって、もしかすると、二度は来ないかも知れないお客さんたちに向けて、「最高だった!」と言わせしめるライブをしなければならない。

要するに、別れた恋人のことを歌ったヒット曲があれば、過密スケジュールの全公演で、それを演奏しなければならず、気分のムラも見せず、恋人への思いという名の哀愁も欠かさず、全ての公演で別れた恋人のことを想わなければならないし、想っていると思わせなければならない。
アマチュア時代のように、気分が乗ったときだけ、その曲を演奏するなんてわけにはいかない。
気分が乗っているかどうかなんて、お客さんにとっては関係がないことだから。

僕にとって、アマチュアとプロの決定的な違いは、責任感。

誰かに伝えることへの責任感。誰かに届くということへの責任感。自分の拘りに対しての責任感。何かを伝えることで、伝わった人や物や事が、少しでも動くかも知れないという責任感。そして、世の中に未だ無いものを有るものにするという責任感。

責任感の熱量が、プロ意識の高さだと思っている。

前述のミュージシャン志望の彼は、好きなことだから食って行けると勘違いしているかも知れないが、もしアマチュア程度の責任感しかなければ、好きなことは、責任感で雁字搦めになった挙句、嫌いなことになってしまわぬよう、気軽にできる取り組みを続け、ずっとずっと好きなままいるほうがいいと思う。

好きなことをやろうとすると、なぜか、嫌いなことが大量につきまとってくる。
でも、好きなことをやれるんだったら、その嫌いなことを蹴散らすくらいの努力、労力なんて、気にもならない。
それこそが、プロ意識なんだと思う。

プロ意識とは、同じ世界で同じプロとして存在する人以外が見れば、ただただ不可思議でしかない、そこまで尖ったもの、それがプロ意識なんだな。


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しかし、もう、こんな小説書かれてしまった日には、負けを認めるしかないや。-書評-『パンク侍、斬られて候』

人間の脳みそというのは、限界を知らないのか?
いや、大概の人の脳みそなんてものは、限界どころか、底が見えているものかも知らないが、この人の脳みそだけは、なんだ、いったい。

人間は、生きているうちに、どんどんとルールを遵守しながら、雛形を意識しながら、枠にはまりながら、なんと言うか、日本人と喋るときには日本語を使うのが当たり前だとか、雨が降っているなら、傘を差すのが普通だとか、ご飯は箸を使って食べるのが当然だとか、誰が決めたわけでもない「普通」というやつを、普通にやりながら、毎分毎秒生きている。

しかしだ、それは、なぜ守らねばならんのだ。
そんなことさえ疑わずに生きてしまっているぞ、子供のころを過ぎてから、ずっと。

そうやって考えてみれば、なぜ上司には気を使わねばならないんだ、なぜ得意先にはまるで土下座でもするかのような姿勢で接せねばならないんだ、なぜ定時に会社に行かねばならないんだ、なぜ髪の毛をド派手な色に染めて仕事に従事してはならないんだ、なぜ夜に眠るんだ、なぜ朝に起き出すんだ、なぜやりたくもない奴に対して愛想笑いなんかしてるんだ、なぜ間違っていると分かりきっている社会のルールに縛られているんだ。

なぜ、なんだ。

型にはまらずに生きて行こうと考える。でも、大概の人は、同じようにして、型にはまらず生きたいと願っているもんだから、大概の人たちと同じように願いながら生きることになる、それはすなわち、型にはまらずに生きたいと願うという型にはまった生き方をしてしまっているということ。

ほら、もう、こんな風なややっこしいことを考え始めてしまっている段階で、すでに、型にはまろうと、型に向かって闊歩してしまっているやないか。

パンクというのも実に厄介なもので、これをするとパンクじゃないとか、パンクならこうするべきだとか、型破りとかホザいてるくせに、パンクという型にはめよう、はまろうとして、なかなか滑稽で。
それはもう、パンクという捉え方が一人歩きしてしまっているからに他ならない証拠で、でもそれっていいことで、パンクというものを、個人個人が自由に定義できるという、ほら素晴らしい。

しかし、もう、こんな小説書かれてしまった日には、負けを認めるしかないや。


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人の生き方というものは、結局、光の当て方次第で発色が変わる、相対的なものだと思うんだ。-書評-『風の歌を聴け』

人の生き方というものは、光の当て方によって、楽しくもあったり悲しくもあったり、切なくもあったり麗しくもあったりする。

誰かと会って、楽しい時間を共に過ごすとする。
その時間が終わり、その人とサヨウナラをする。
背中を見送り、顔を向き直り、さあ、帰ろうかと歩を進めた瞬間、先ほどまでの自分からは想像もつかないほどの、ため息にも似た感情が、自然と漏れ出すことって、ないだろうか。

始まりには終わりが付き物で、楽しさには祭りの後の寂しさが付き物で。
10代はあっという間に終わるけれど、20代も30代も40代も、そう考えると、人の一生なんて、あっという間に終わってしまう。
昔手にしていた幸せも、今手にしている幸せも、やがて手にする幸せも、いつかは全て、無くなってしまう。

そう考えると、生きていることなんて、無味乾燥、何も愉快じゃないじゃないかと反発したくもなるけれど、そんな虚無な哲学を、心のどこか、DNAの奥深くに潜めているからこそ、一瞬一瞬を華やかに演出してみたり、痛快な話で盛り上がってみたり、サプライズを起してみたり、時には自分を壊してみたりと、話題に事欠かないよう、自分に気を使いながら人は生きているんじゃないだろうか。

青春時代も、同じ。
若いからと言って、無鉄砲なだけじゃない。
その若さが、どこから来て、どこへ消えて行くのか。そして、その果てには何が待っているのか。悶々と日々を過ごしながら、心の中に乾いた感情をひた隠しながら、無限の可能性を信じたフリをして、無邪気に毎日を過ごしていく。

結局は、光の当て方なんだと思う。
人の生き方というものは、結局、光の当て方次第で発色が変わる、相対的なものだと思うんだ。


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そんな世界は自分と縁のない場所に広がっていると思い過ぎてやしないだろうか。-書評-『コックサッカーブルース』

ミステリーとエロスが交錯する世界。
この世界には、ミステリーが溢れているのか、それとも、この世界には、エロスが溢れているのか。

村上龍の小説を読むと、いつも思う。
こんな世界が本当にこの世にあるのだろうか。でも、きっと本当にそれはどこかにあって、でも、自分がそのどこかに行っていないだけで、触れていないだけで、体験していないだけで、きっと今夜も世界のどこか、いや、日本のどこかでは、当たり前のようにこんな世界が広がっているんだろうな、と。

自分にとっての非日常を、日常として生きている人たちも、きっといるんだろう。
極端な話、今この時間、この国のどこか、例えば路地裏のマンションの一室で、こめかみに拳銃を突きつけられている人だっているかも知れない。
それは、今この時間、ついさっき出会ったばかりの男女が、どこかのホテルの一室で、汗ダクになりながらセックスしていることだって、当然のようにあり得るのと同じ。

そんな世界は自分と縁のない場所に広がっていると思い過ぎてやしないだろうか。
自分はそんな世界に足を踏み入れることがないと過信し過ぎてやしないだろうか。

例えば、ニュースで報じられる事件で、自分の住んでいる町のすぐ近く、馴染みの場所で凶悪犯罪が起こったとする。
そのニュースを見て、一瞬だけ、そんな世界と自分の世界とをリンクさせようと、人間の感情は試みてみる。
そうして、ゾッ、と感じる。
でもまたすぐに、そんな世界をどこか遠く遠く、自分とは縁のない世界へと追いやってしまう。

果たして、そうだろうか。
もしかしたら、自分のすぐそばに、そんな世界は広がっているのかも知れない。
逃げようとしても、あちら側からご丁寧に、巻き込みにやってくるのかも知れない。

村上龍を読むと、いつもそんな気にさせられる。


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そろそろ人間としての型をぶち破りたいと渇望している人にオススメな一冊。-書評-『テースト・オブ・苦虫2』

年齢を重ねたり、成功を手にしたりし始めると、人は贅沢な顔面になっていくわなあ。
顔面に無駄に肉を備え始めたり、腹がボテチンと出始めたり、むやみやたらと、肌の色が浅黒くなったり。
ほんでやな、交流する人々も、俗にいう「偉いさん」とか呼ばれる人ばかりに偏り、善人のフリをしているクセに、その実、裏ではしっかりと悪巧みをしながら、着々と至福を肥やし利益を貪る。

そんなイメージ、ありまへんか?
社会に出てみると、ものの見事にそんなイメージの人たちが多く、社会で人と接してみると、ものの見事にそんなイメージの人ばかりで、閉口を通り越して、口をミシンで縫いたくもなる。

しかししかし、世の中のキッズたちよ、安心したまえ、何も世の中、そんな腰抜けのような大人ばかりじゃないぞ。年齢を重ねようが、成功を手にしようが、ちゃんと美しくも腐った魂を捨てずにいられる、カップラーメンやスナック菓子を愛せる、冬でも路上で缶ビールが飲める、パンクロックのライブに行けば、キッズよりも激しいモッシュができる、そして、周りからして、愛さずにはいられないような大人が、希少なれど、いるものだ。

もしかすると、着々と至福を肥やし利益を貪っているような人たちには、余裕がないのかも知れない。
カップラーメンやスナック菓子を愛しているような、キラキラ輝く大人たちには、余裕があるのかも知れない。

その実、年齢を重ねたり、成功を手にし始めてしまうと、何も変わらないというわけにはいかない。生き方だって、金の使い方だって、交友関係だって、見た目だって、絶対に変わって行くもの。
だけど、余裕を持った、輝く大人たちは、そういった姿、様相を表に出さず、自分をしっかりと演出しながら、自分の思う生き方、要するに、他人に媚びた姿を曝け出しながら、ヨダレを垂らしながら利益を貪るような腰抜けのような姿は見せず、どこまでも、自分の生き様に応じた自分をセルフプロデュースできているのかも知れない。

社会で聞こえる八割近くの会話が、同じようなことを言っている。
かと言って、社会は決して、同じようなことばかりで八割近くを埋め尽くされているわけではない。

社会に蔓延る見え透いた流れに飲まれてしまえば、結論、人としての旨みが削がれて行くということだ。

テースト・オブ・苦虫〈2〉 (中公文庫)
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家族という小さな空間の中で充満する、介護という大きな心の問題をひも解いてくれる。-書評-『スクラップ・アンド・ビルド』

日本の近い将来を考えるとき、介護という言葉がすぐに頭に思い浮かぶ。
自分の遠くない将来を考えるとき、老いという言葉が頭をよぎる。

人は長生きというものを選んだ瞬間から、介護という義務と責任も同時に選んだんだと思う。
そして日本は高齢化社会を向かえ、高齢化社会を加速させ、高齢者の国になる。
老人が老人を介護する世界、老人が老人の送り迎えをし、老人が老人を頼りにする時代。

人は誰だって、今のことしか考えたがらないから、いくら将来の備えをと思っていたって、いざ自分が介護をされる立場になったときのことなんて、鮮明にイメージできる人なんているわけがない。
年金の問題や税金の問題、介護施設の問題や介護の働き手の問題やら、たくさんの問題は山積みになっていて、それらに対する対策や対応が求められているという現状は、時事の情報やニュースを見ていれば誰だって知っていると思う。

でも、介護について一番思うのは、心の問題。

今まで当たり前にできていたことができなくなってしまう老い、普通にできたことを誰かに頼らねばならなくなってしまうという恐怖、それを申し訳ないと感じ、それを恥ずかしいと感じ、それまで自由だった四肢が、不自由な四肢へと衰えてしまう不安、心はどこへ向かってしまうのだろうか、心はどこを向けばいいのだろうか。

生きていればなんとかなるさ。やる気があればなんとかなるさ。頑張ればなんとかなるさ。
若い頃に聞きなれた言葉、若い頃に言いなれた言葉、若い頃に実際にそうやってみて、なんとかなってきた日々、なんとかできた日々。

老いが来れば、きっと、そんな言葉は当てはまらない。

老いてまで生きたくないからと息巻いた若い頃、現実はそんなに甘くないんだ、死ぬことさえ選べないほど、身体は老いていく、死ぬ力さえひねり出せないほど、身体は老いていく。

そんな風に考えると、やっぱり、老いとは、身体の問題であり、心の問題でもあると思う。
老いを見つめる自分の心、老いを周りで見つめる家族の心。

世の中で今、数多語られている、介護の話には、心の問題が欠如している。
だからこそ、介護の世界で手垢に塗れるほど使い込まれている、「第二の豊かな暮らしを」とか「いつまでも笑顔溢れる生活を」とか、心の問題を置き去りにしたような、造花のような言葉には、違和感しか覚えないんだ。

スクラップ・アンド・ビルド
羽田 圭介
文藝春秋
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ツービート、こうして奇跡は誕生するのか。-書評-『浅草キッド』

笑いというのは、とにかく深い、芸だと思う。
人を笑わせるというのは、とても難しく、それだけに笑わせているほうの技量、器量、度量、熱量、それらは凄まじく、まさしく、正真正銘の芸だと思う。

下積み。
芸の世界はもちろんのこと、昔は下積みの期間や、下積みの時代、うだつが上がらなければ万年、下積み。
そういった下積みを経験するからこそ、貪欲さが生まれ、這い上がろうとし、芸の中で盗めるものは盗んでやろうという、のし上がるための狡猾さを学んで行くんだと思う。

一般社会では、どんどんと、下積みと呼ばれるような制度はなくなりつつあるように感じる。
それだけ、一般社会では、新しく登場する新人たちとの価値観のギャップに、人を育てるということを放棄し、住む世界を異にしてしまっているんだろうな。
だから、下積みを経験させて、這い上がらせるなんてことに、付き合う年長も少なくなるわけだ。

芸人。
芸人さんの世界は、とても特殊な世界なんだろうと思う。
又吉著『火花』でもあるように、金がなくても先輩は後輩に対して、どんな状況でも奢ることを常とし、後輩を飲みに誘ったものの、金がないときには、借金してでも金を作って、奢る。

今ではもう使い古されてしまったのだろうか、芸人さんといえば、飲む打つ買う、道楽の限りをつくす、なんとも夢のある世界で、芸事で一発当てたときの夢の大きさと、一発当てることの厳しさが体現されている。

芸の世界には、なんでこんなにも物語がついて回るのだろうか。
芸の世界に暮らさない、市井の人たちの生き様にも、物語はついて回っているのはもちろんだけれども、芸の世界には、なぜあれほどに物語りがついて回るのだろうか。

こう思う。
芸の世界に住まう人たちは、生きるという芸を生きながらにして演じているからなんだろうと。

浅草キッド (新潮文庫)
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芸人の日々なんて、こんなもんかと、すごくいい意味で安心できた本作。-書評-『火花』

誤解を恐れずに言うならば、芸人の日々なんて、こんなもんかと、こんなに必死になって日々を芸人らしく生きているのかって、勝手に崇高なイメージを持っていたよ、勝手にその存在を崇拝していたよ、だから安心した、こんなもんかと、僕らと何ら変わらずにもがいているんじゃないかって、日々を賑やかにすることに必死になってもがいているんじゃないかって、そんな風に、僕たちと何ら変わらない姿が伝わってきて、安心した。

生きることにはお金が必要だ。お金を手にするためには、仕事が必要だ。仕事とは、誰かに求められること、誰かに必要とされること。それがどんな理由だっていい。
君にしかこの巨大プロジェクトのプロデュースは任せられないから、君が必要だというものでもいいだろう。アルバイトの某氏が飛んじゃったもんだから、急遽本日のフロアを任せられるのは、君しかいないからというものでもいいだろう。
足元の小石をポンッと蹴飛ばすことが、今君にしかできないから、だから君が必要だという理由だっていいだろう。

ともかく、必要とされることが必要で、不必要とされた時点で、社会からは存在が消されてしまう。
存在が消されたとしても、自分はここにしっかりと存在しているから、だから、その矛盾に心が痛んで、身動きができなくなってしまう、もしくは異常なまでに極端に暴れてしまう。

本日、微かな幸せを手にしました。半年後、その微かな幸せを、人知れず失いました。思い返せば、その半年間、その微かな幸せを守るために強がり、失う不安に苛まれ、すぐそばに存在していることを感じては安心し、誰かに奪われやしないかと怯える。
たとえばそんな、毎日。
そんな毎日が、ただあるだけ。
結局は、そんなことの繰り返しで、そりゃ歳とともに、感性も変化するだろうから、捉え方や感じ方は変わってくるものの、結局は、そんなことの繰り返しで、人の一生は形成されているんだろうと思う。

夢とはいったい、何だろうか。
必要とされるって、いったい何だろうか。
あの日見た火花は、飛び散って、今どこにあるのだろうか。

火花
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又吉 直樹
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生きるっていうことは、ここまで、人に成長を強いるものなのだろうか。-書評-『白い花と鳥たちの祈り』

今よりもずっと若い頃、僕たちはきっともっと繊細で、繊細でというのは、人間そのものの性質はもちろん変わっていないので、絶対的なそれが変わってしまったのではなく、どこかしらに諦めに似たような感情を抱くようになって、それを怠慢と呼ぶのか、成長と呼ぶのか、一つひとつのことに、いちいち反応をしなくなってしまった。

社会というシガラミの中で日々生きていても、それを崩そうとも壊そうともせず、それに対して不満や文句は吐くものの、心のどっかで、こんな風なことが、どうせずっと続いて行くんだろうなって、諦めてしまっている。
それを『大人になった』なんて自覚しながら、さも、抗わないこと、挑まないことこそが、大人、安定、器、などと高貴そうなレッテルを貼って、慢心している。

でも、違うよね。
今よりもずっと若い頃もそう、今だってそう、これからだってそう、毎日の密度、日々起こる出来事の密度、日々触れ合う人々との摩擦の密度なんてものは、変わっていない、変わるわけがない。
本来、日がな一日を、のほほん、何も起こりませんでしたなんて涼しい顔をして過ごせるわけがない、命がそうさせてくれるわけがない。

ただ、慣れはきっと、あると思う。
長く生きていれば、それだけ、ルーティーンで巻き起こることも多かろう、だからこそ、慣れはきっと、あると思う。
感受性にも慣れはあると思うから、同じ映画を二度観ても、もはや、一度目の感動を、二度目にも同じように味わうことは不可能なんだ。

じゃあどうするか?
今よりずっと若い頃の自分に尋ねてみるか? 今の自分に尋ねてみるか? 未来の自分に尋ねてみるか?

人は、自らが選んだ環境の中と、選ぶ権利さえなく存在させらた環境の中で、自分を上手く適応させながら、行ったりきたりしながら泳いで行く。

大人になるっていうことは、もしかしたら、自らが選んだ環境の中で、逃げも隠れもせず、胸を張って堂々と生きていくこと、その生き方に、覚悟を持って泳ぎ出すということなのかも知れない。

白い花と鳥たちの祈り
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もしかすると、朝、当たり前のように目覚めていることだって、奇奇怪怪なことなのかも知れない。-書評-『蛇を踏む』

もしかすると、朝、当たり前のように目覚めていることだって、奇奇怪怪なことなのかも知れない。

そう思いながら世界を見渡してみると、どこもかしこも、不可解なことだらけで、奇妙なことだらけで、第一、今こうして手に取っている十円玉でさえ、どこの誰の手を渡り歩いてきたかも分からないわけで、それはこの界隈に住まう人間の間を渡り歩いてきたわけではなく、果てしなく北のほうから、果てしなく南のほうまで、どこの誰だか分からない人の手を渡り歩いてきた、この十円玉、それを今手に取って眺めている。
こんなおかしな話があるだろうか。

人間の性質としてもし、昼行性のタイプと夜行性のタイプと、二種類が均等に、ほぼ均等に分かれているようなものに、予め設えてもらっていたなら、夜も動く夜も動く、人間の半分は夜も動く、ということで、夜の闇で行われている犯罪、例えば、空き巣とか強盗とか、人が寝静まった頃を見計らって企てられる犯罪というのは、激減するのかも知れないなあ、いや、でも、ダメか……。これまで昼に犯罪を犯していたタイプの人間も、夜行性のタイプに入ってしまったら、夜にでも犯罪を企てる企てる、ああそうか、なんとも奇奇怪怪だなあ。

蛇を踏む。

奇奇怪怪な世界に引きずり込まれそう。
それが、大きな違和感じゃなくて、小さな違和感だからこそ、余計に引きずり込まれそう。

ああ嫌だ、うちにも蛇が来たらどうしよう、ああ嫌だ。

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出会いと別れと変化、人はこの三つを繰り返して生きて行くんだろうな。-映画評-『ベイマックス』

生きていれば、出会いがあって、生きていれば、別れがあって、そのどちらも、自分という人間を変化させてくれる。

誰かと出会ったことで、一時的に歓喜することもあれば、生涯の変化を、その出会いがもたらせてくれることだってある。
誰かと別れることで、立ち直れないほどに心が崩壊することもあれば、誰かを失った悲しみから這い上がることで、それまでよりも、強い自分に変わって行くことだってある。

物語を観ていれば、物語を読んでいれば、物語を聞いていれば、そんな出会いや別れや変化が、話の展開にとても強弱をつけてくれて、ドラマチックにしてくれて、ロマンチックにしてくれる。
それがあるからこそ、物語の結末を知るまで、ずっとずっと没入していられる。ワクワクしながら。

じゃあ、物語以外だったら、どうだろうか?
現実の世界も、そんな風にあんな風な、出会いや別れや変化があるのだろうか?

ないから、物語に求めるの?
それとも、あるけど、僕らの触手は鈍感なだけ?

そんなことを、眠れない夜に考えてみては、僕らの物語は、どんどんと進んで行く。

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湿気のなかにズルズルと引き込まれていけば、そこでは、大人たちが持つ事情が飛び交う。-書評- 『真夏の犬』

脳内に思い返す昔の景色には、今ほど恵まれていない日本があって、セピア色した大阪があって、大量の排気ガスや、とても裕福とは呼べない身なりをした人々、便利さなどとはほど遠く、オモチャというよりも玩具で遊びながら、埃っぽい町中を走り回っている自分がいる。

本書を読んで、意外な事実に気づかされた。

それは、思い返す昔の景色には、当然のように子どもの僕たちが映っていて、子どもの視点や子どもの感性で持って、町を眺めて、人を眺めて、言葉を発して、そういった景色が懐かしく流れていくので、昔の景色には、子どものどこかしら酸っぱいような、青々しい香りしかしないものと思っていたけれど、その景色のなかにはきちんと大人たちも存在していて、大人たちの世界も存在していて、大人たちの事情もしっかりと存在していたんだということ。

子どもの時代は『当時』で、大人の時代は『現在』、というのは、自分の都合で、子どもの時代も大人の時代も『当時』として過ごした人なんてたくさんいるんだ、だから、当時も今も変わらず、大人たちは、大人たちで持ち合う事情を交し合い、大人にしか理解できない会話で、悟れない合図で、分かり合えない温度で、当時の景色のなかを、たくさんの事情を持って生きていたんだって、まるでカルチャーショックのように、本書を読んで気づかされた。

どうして、『当時』を思わせる物語というやつは、これほどまでに湿気が多い気がするのだろう。これは個人的な感覚だろうか、とても湿気が多く、ジトジトしている気がする。
それは決して悪い意味ではなく、『当時』を思い、想起しない限り、感じ得ない貴重な湿っぽさ。
裏を返せば、『今』の物語には、そういった湿っぽさは、全くと言っていいほど、感じられない。
それは、文学だけじゃない。音楽だってそうだ。テレビやラジオだってそうだ。ということは、『時代』がそうさせていたのかも知れない。いったいどういう作用で、そんな湿っぽさが生まれるんだろうか。

例にも漏れず、宮本輝の世界にも、同じ湿った気配が漂っている。
それは、一度触れると、ズルズルとその湿度に引き込まれるかのように、時代をトリップさせられる。

昭和とか、貧困とか、回顧とか、ノスタルジーとか、そういった単語では表すことのできない、湿気のなかに、ズルズルと引き込まれていく。

真夏の犬 (文春文庫)
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大阪モダンディスコ
常盤 英孝
自分史[プロフィール]

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。

どうにかロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける日々。

大阪を盛り上げるべく、たくさんの人と出会い、とにかく"コトを起こす"ことをお酒の肴に呑んだり、わいわいやったり、時には本気で"コトを起こしたり"など。

日々、書き、描き、話し、モノづくりをしています。

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