大阪モダンディスコ

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。 ロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける。

日本人。もっと自己を主張しよう。青春には年齢制限なんかない。-書評-『青春論』

青春とはなんだろう。改めてそれについて深く考えてみると、それは自己の主張のような気がした。
世の大人たちは、歳をとるにつれ、社会的な立場からの自己の主張は得意になる。そして、それ以外は、一般論をふんだんに備えていることを誇るようになる。つまりは、自己の主張が希薄になる。

となるとだ、たとえ若者であったとしても、自己を主張せずに、ふんわりふわふわと生きていては、青春を過ごしているということにならない。魅力を欠いた大人たちと、何ら変わらないということだ。

で、じゃあ自己の主張って、どうやったらええのん? となる。夢とか追いかけて、キラキラと輝いていることが自己の主張か? そうではない。夢なんかなくてもいい。夢など追わずに、ふんわりふわふわと生きていてもいい。ただ、「自分には夢などなく、ふんわりふわふわと生きているんだ」という確たる主張が必要なわけだ。

今やスマートフォンで手軽にコミュニケーションを取れる。企業が用意したスタンプに触れさえすれば、定型化された会話ができる。自分の言葉など使わなくても、おはよう、こんにちは、おやすみ、疲れた、好き、人間にとって最低限以上の会話は、スタンプを選択するだけで伝えられる。とてもお手軽でお気楽だ。

そりゃ、表現することも面倒臭くなるわなぁ。

不自由だった日々から、少しずつ自由が増え、自分は自由なんだと錯覚しながら、檻のなかで叫ぶ青春時代。そんな時代は今は昔。もはやそんな感傷的な時代じゃないよと、青春という言葉が、現役引退させられようとしている。

日本人。もっと自己を主張しよう。青春には年齢制限なんかない。


青春論 (角川ソフィア文庫)
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そこに広がっていたのは、世界の終わりじゃなくて、新しい世界のはじまりだったはずだ。-書評-『ふたご』

人は、どんどんと変わっていく生き物じゃないと思う。生きていくうえで、何かに気づいたり何かを思い出したりして、それを繰り返して生きて行く生き物なんだと思う。その気づきや思い出す行為っていうのは、もともと自分のなかに眠っていたことを掘り起こすことで、だから、たくさん人に会ったりたくさん本を読んだりたくさん勉強したりして花開くものではないはず。

ある日、突然、はっ、となるものだと思う。

その衝撃が凄まじければ凄まじいほど、その日からもう、まっしぐら。成功には、運とか縁とか才能とかたくさんの要因が絡んでくるけれど、その日からどこまでも走ることができれば、もう結果なんかどうだっていい。もう、ただただ楽しんで、どこまでも行ける。

苦悩っていうのは、その、はっ、になるまで延々と続く。繊細な人間であればあるほど、苦悩の締め付けは強く、自問自答の日々が続くだろう。だから人はみんな、どうにか苦悩から逃れようと、もがき苦しむ。その行為がまた、新たな焦燥やジレンマを生み、さらに苦悩する。でも仕方がない。だって、まだ、はっ、ってなっていないんだから。

人と同じことができず、同じことをする意味さえも掴めず、社会が敷いたレールからどんどんとはみ出していく青年は、人と同じことをしないという価値を評され、社会的に成功する。

そこに広がっていたのは、世界の終わりじゃなくて、新しい世界のはじまりだったはずだ。


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女性の中に眠る猟奇的で怪奇的な衝動に、ゾワッと無数の鳥肌が立つ。-書評-『悪いものが、来ませんように』

人は誰しも心の中に、猟奇的な衝動を抱えている。どんなときでも平常心を保てる人がいたとしても、本人が極度に固執するものを侵されそうになったとき、偏執狂の如くに乱れる。その乱れ方は、近しい人間ですら知り得ないほど怪奇的なものであり、固執への侵略を阻止した後の姿は、にわかに信じがたいものである場合が多い。

女性にとって、我が子が持つ意味が巨大なまでに大きいことは、男でも容易に想像がつく。本人ひとりの存在は頼りないものであったとしても、我が子を守らんとするときの眼光の鋭さや、外的から守らんとする腕力には、科学を超越した善なる魔力が潜んでいることを感じさせる。

ある年齢から女性は、我が子を有する身分であるかそうでないかで、目に見えぬ境界線を設けはじめるのではないだろうか。誰かの口から聞いたわけでも、あからさまにそういった事実を目の当たりにしたわけでもないが、確実にその境界線を感じる。

子を身ごもり、遺伝子を残し、次の世代へと継承していくという生物学的な行為そのものが神秘的故に、境界線への向こう側に対し、侮蔑したり見下したりといった下世話な視線を送るのではなく、心の深海部分が取り計らう、区別、がはじまるのだと思う。

我が身を犠牲にしてでも我が子を守り抜く。鬼気迫る迫力と義務感と使命感が、果たして男に理解できるのだろうか。そして世界中の母親たちは誰ひとりにさえ見せたことのない形相でこう思うのだろう。我が子に悪いものが、来ませんように、と。


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やぁ。素晴らしい世界は、今、目の前にあるんだぜ。-書評-『左目に映る星』

人は誰しも、自分だけは他の人とは違うと思いがち。でも、あなたの目に映る他人たちも他人たちで、自分だけは他人とは違うと思っているだろうから、人はみんな一緒、得てして自分だけが他人とは違うと思いがち。

あなたの目に映る他人たちのすべてが、いかにも何も考えていないような、いかにも毎日を飄々と過ごしていそうな、いかにも「エキストラ」な感じが滲み出ていたとしても、彼らは彼らで自分のことを、特殊で特別で他人とは違うと思い込んでいる。だから、人はみんな一緒、得てして自分だけが他人とは違うと思いがち。

という発想を捨ててみる。
で、こういう発想に変えてみる。

人にはもともと、他人たちのそれぞれを区別するほどの力なんてない。長年付き合っている心と身体、自分についてはそりゃ何から何までわかるはず。でも、赤の他人のことなんてわかるはずがない。親や家族、恋人のことですら、わかったつもりでその実、あんまりわかっていないはず。

だから、他人たちのことを区別することなんてできないから、自分と他人たちは違う、という答えでまとめてしまう。他人たちがいつも、飄々としているように感じてしまう。自分だけが孤独なように思えてしまう。

そこでこの発想をさらに昇華させてみる。

自分だけは他人たちとは違うという発想は、万人の心にフィットする。その類の孤独感はみんな、心のどこかに隠し持っているもんだから、だからスポッとはまる。孤独を歌う唄が支持されるように、孤独を描いた物語が愛されるように。

で、この発想を収束させてみる。

なんて言ってはみたものの、やっぱり孤独は孤独だし、殊更に自分だけが悲しく思える日もあって、頭じゃあれこれ理解はできていても、やっぱり寂しいもんは寂しいもんだ。心は頭ほどお利口さんじゃないから、いつでも過去はよく見えるし、過去に答えを求めている限り、現実からも未来からも逃げられる気がして安心できる。

あの日の彼は元気だろうか。あの日の君は元気だろうか。今日という時間を泳ぎながら、あの日の彼やあの日の君を探している人たち。

やぁ。素晴らしい世界は、今、目の前にあるんだぜ。


左目に映る星
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言葉は伝えるものじゃない。伝わってこそ、はじめて言葉なんだ。-書評-『妻に捧げた1778話』

人は大切なものを失うことを頭で理解した瞬間から、後悔をはじめる生き物だと思う。
いつまでも自分のそばにあるものだと無意識に思って安心しているから、それは当然のことだし、それは別に責めるべきものじゃない。そうやって無意識に安心できるほど大切な存在だったんだって、逆説的に捉えることもできるだろう。

そして、大切なものっていう存在は、何も他人のことばかりじゃない。自分という存在だって、そのひとつ。
自分のしょうもない拘りのために、今日一日を無駄にしてしまった経験はないだろうか。明日の朝、眠りから絶対に目覚める保証なんて誰にもないはずなのに、それなのにその日一日を、納得のいかぬまま、無駄に過ごしてしまったこともあるはず。

そこで思った。

大切なものを失うことを頭で理解した瞬間に後悔をはじめる。そこでほとんどの人は、後悔を償おうとする。何かを埋め合わせようとする。やろうと思っていたけれどやらなかったことに後悔し、やってみたり。言おうと思っていたことに後悔し、言ってみたり。

でも、それってすごく後ろ向きな気がした。人と人が一緒にいて、やろうと思っていたけれどやらなかったことって、もともとやらなくてよかったことのような気がするし、言わなかったことは、別に言わなくてよかったことだったんじゃないかなって思う。

後悔の念に突き動かされて、後ろ向きな埋め合わせをしたって、誰も喜ばないし、誰も望んじゃいない。それだったら……

未来に向かって、新しいことをやってみよう。

失うという行為も前に向かって歩いて行くこと。もちろん、そんな冷静に受け止められるわけがない。当事者になれば誰だって心は壊れるし、精神を落ち着かせられるわけがない。でも、後悔は違うと思う。後悔なんてしている暇はない。新しい何かをやってみなくちゃ。


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美しい心とは、他人を温めてあげられる優しさ、なんじゃないだろうか。-書評-『フランダースの犬』

美しい心を、誰だって持って生きて行きたいと思っていたはず。生まれた瞬間から邪悪な人間なんて、いないはずだから。

その美しい心を、踏みにじる奴が必ず現れる。
それは同級生の場合もあれば、先生の場合だってある。近所の連中かもしれないし、もしかすると家族のなかの誰かかもしれない。

そういう悲しい出来事を経ると人には、美しい心を保って生きているほうが損をするんじゃないかという猜疑心が芽生えてくる。現に、薄汚れた人間たちがほくそ笑みながら生きている横で、キレイな心をした人たちが泣いているのを見ると、余計に疑いたくもなる。

「キレイごとばっかり言ってちゃ生きては行けないよ」と、人は言うけれど、そんな風にならなきゃ生きていけないのなら、果たして生きていく意味なんてあるのだろうかとも思ってしまう。

人は弱い生き物だということはわかる。でも、悪い生き物じゃないはずだと信じたい。もしかすると、弱い生き物だから悪いことに誘われてしまうのだろうか。

他人から冷たくされた経験を持つ人は、同時に優しさが何かを知ることになる。
世の中から冷たくされた経験を持つ人は、生きていく強さを身につけることになる。
だからといって、命を落とすまでに追い詰められては意味がない。

自分以外の誰かを見て、手を差し伸べる勇気、それが人の心に温かみと逃げ場をもたらすこともある、ということを忘れてはいけない。

美しい心とは、他人を温めてあげられる優しさ、なんじゃないだろうか。


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過去から蓄積してきたデータや統計をすべて捨て去り、手つかずの未来を創ろう。-書評-『ひとにぎりの未来』

これからの未来を、ぼくたちはどれくらい正しく思い描けるだろうか。
発展し進歩していく様子を、正しくイメージできるだろうか。

もう未来をイメージする必要もないほどに発展しきってしまったのか、簡単にイメージできる程度の発展しか未来には残されていないのか。さて、どうだろうか。

便利さばかりを追求する発展なら、もう要らない気がする。
なぜなら、便利さを追求することは、幸せに近づくことではない気がするから。
物が溢れかえっていても満たされない人がいる反面、決して裕福ではないけれど、心に豊かさを保ちながら生きている人もいるのがその証拠。

脳内をもっと愉快で騒々しい未来のイメージで埋め尽くしてみる。
ガヤガヤと、人がうるさく過ごしている。捩れた人間関係や物足りない歯がゆさを抱えながら、毎日を粗暴に闊歩する。その日その日の酒を飲み、明日の楽しみを思い浮かべたり、一日の悔しさから目を背けたりしながら。そんな、当たり前だったはずの未来に、ぼくらは足を踏み入れることができるのだろうか。

あの日あの時、作家たちが事細かに描いた未来に、ぼくたちは今、立っている。
そして、未来を豊かに予言してくれる作家たちはもういない。
いや、そんなことはないかな。

Back to the basic.
ぼくらはエポックメイキングだけを待っている。
今をぶち壊して、未来を創ろう。歴史に学びながら、過去から蓄積してきたデータや統計をすべて捨て去り、手つかずの未来を創ろう。
たとえ壮大でなくたっていい。そこにはきっと、ひとにぎりの未来があるはずだから。


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今すぐ誰かに伝えたい"あの日の思い"はありませんか?-書評-『聲の形』

人は誰しも、伝えられなかった思いや気持ちを胸に抱きながら生きていると思う。
で、もしあの時、あの思いを伝えられていたら、今ごろどうなっているだろうか、とか考える。

あの時の自分の不甲斐なさを悔んだり。
あの時の自分にもう少し勇気があればと自分を蔑んだり。
時間の流れとともに、すっかり取り返しがつかなくなってしまった現実を憂い、落ち込んだり。

もしかしたら、あの時、あの人に、あの言葉を言えていたなら、今この世界は、もっと違ったものになっていたかもしれないのに、と。

そんなことを思いながら、眠い目を擦って会社に向かう。
そんなことを思いながら、酔いで混濁した意識を抱えながら自宅へと戻る。

人はほんとに出し惜しむ生き物だ。

強がったり、虚勢を張ったり、いったいどんな細胞が人をそんな風にさせているんだろうか。

ただ、そんななかでも、まだ取り戻せるものだってある。もう遅すぎるなんて言わないで、今すぐ"あの日の答え"を探しに行こうじゃないか。
もちろん、その答えは"あの日の答え"と違っているかもしれない。でも、そんなことは関係ない。

言えなかった「ごめんなさい」や、言えなかった「ありがとう」、言えなかった「好きです」を伝えるのに、遅すぎることなんてない。

今すぐ誰かに伝えたい"あの日の思い"はありませんか?
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叶わぬ妄想と知りつつも、朝の目覚めとともに、従姉の「おはよう」が耳に飛び込んでくる映像が脳を埋め尽くしていく。-書評-『魅惑の女子大生従姉』

男兄弟しかいない、もしくはひとりっ子の男性なら、一度はこんな妄想をしたことがあるだろう。
自分に姉がいれば。自分に妹がいれば。自分に女姉弟がいれば、と。

ただ、そうなると血のつながりを意識してしまう。たとえ妄想だとしても、現実の掟はでき得る限り守りたい。そうなるとだ、従姉や従妹へと妄想は突き進んでしまう。(両親の再婚によってある日突然、血のつながっていない姉もしくは妹が現れる、というパターンもあるが)

ひょんなことから、従姉と同居することになった。それまで男兄弟しか見てこなかった俺が、同じ屋根の下、年の近い異性の呼吸を感じながら生活する。

従姉の部屋には、従姉の体温が。食卓には従姉が使った食器が。お風呂のお湯は従姉の浸かったもの。トイレだって、洗面台だって、脱衣所だって、そこかしこに従姉の存在を感じる。

そのうえにだ、従姉は俺に強い興味があり、俺の肉体にも強烈な興味を示してくる。従姉は年上だ。俺は年下だ。従姉の命令には従わなきゃならない。俺を求めてくる従姉。逆らうどころか、その誘惑に全身まで溺れたい俺。

かたく目を閉じた俺の唇に、従姉の柔らかく湿った唇が重なる……!

なんて妄想、男なら誰しもが抱いたはず。叶うわけがないと知りつつも、妄想のなかでその世界をどんどん広げ、そして、どんどんディテールを描いていく。
叶わぬ妄想と知りつつも、朝の目覚めとともに、従姉の「おはよう」が耳に飛び込んでくる映像が脳を埋め尽くしていく。


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官能小説は少年の頃から思い描き続けた、あり得ない設定のなかで性を貪る願望を、淫蜜の湿りでねっとりと包んでくれた。-書評-『人妻の別荘』

男の果てない願望、それは、あり得ない設定のなかで性を貪ること。
それはきっと、少年の頃からすべての男が抱えている願望といっても過言ではない。

ピザの配達に訪れた家の玄関に下着姿の人妻が現れる。旦那が出張中だから、よかったら上がっていかない? と誘われ家の中へ。性生活に不満を抱く人妻とそのまま情事。

一人で旅をしている途中、とあるホテルに宿泊する。誰も訪れる予定のない自分の部屋のインターホンが鳴る。出てみるとそこには、バスローブ姿の美女が。ひょんなことから鍵を室内に置いたまま、バスローブで部屋の外に出てしまったらしい。しばらくの間、部屋で休ませてくれないかと頼み込む美女。どうぞと中へ招き入れ、あろうことかそのまま情事。

一人カラオケを満喫していると、突然ドアが開かれた。ふと見上げると、そこには泣き崩れた美少女が。ついさっき彼氏にフラれたと涙をこぼす彼女。倒れ込むように部屋に入ってきた彼女を慰めるうち、気づけば濃密な情事。

挙げだすとキリがない。男は少年の頃から、こんなことばっかり考えて生きているんだから。

そして、情事はより濃厚なほうがいい。できれば、男と女がひた隠して生きる淫猥な願望のすべてが叶えられる情事がいい。あり得ない設定のなかで、あり得ない情事に溺れる。

官能小説のなかには、そんな世界が広がっていた。
そして官能小説は、少年の頃から思い描き続けた、あり得ない設定のなかで性を貪る願望を、淫蜜の湿りでねっとりと包んでくれた。


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「笑うな」と言われて、それすらも前フリに感じさせる珠玉のユーモアをどうぞ。-書評-『笑うな』

笑いというのは、ほんとに緻密に構成されていると思う。
人々から返ってくる反応は、笑う、というシンプルなものであったとしても、それを誘引するためには、緻密な構成力を要する。

設定がしっかりしていないとダメだし、前フリもしっかりしていないとダメ。相手を話に引き込み没入させ、さらには脳内で具体的な絵をイメージさせる。そして、相手の脳内で繰り広げられているイメージ映像のなかで、オチをつける。語り手と受け手の共同作業でもある。

お笑いの場合、そこに声の強弱や音程、身振り手振りのジェスチャー、間の取り方や抑揚など、たくさんのポイントが絡んでくる。小説では、活字を使って、それら笑いを引き出す要因を押さえていかねばならない。

なんでわずか数ページのストーリーで、こんなにも爆笑してしまうのだ。
相変わらず、そのメカニズムが解明できない。

たとえばショートショートは、隙間時間でもサラッと読むことができる。少しの移動時間や、友人を待っている時間でさえ、数話を読み込めるだろう。暇つぶしに最適、と言ってしまってもいいはずだ。

ただ、これほど珠玉の名作が詰まった作品で暇をつぶせたなら、それは幸せなこと。その暇は、最高の使い方をしたと言っても過言ではない。
本来、何気なく過ごしていたであろう時間を、これほどまでのユーモアで満たすことができたなら、それは至福の時間。

待ち時間を経て、友人が向こうから現れた。
友人がこう言う。
「なにかおもしこいことでもあったの?」と。
それは、本を閉じたあなたの顔が、少しニヤついていたからだ。

このニヤつきを生み出す力。ユーモアの成せる業。
「笑うな」と言われて、それすらも前フリに感じさせる珠玉のユーモアをどうぞ。


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日常のなかに無数に転がる奇妙な事実、それがショートショート。-書評-『招待状』

あのとき、もう片方の選択をしていたら、今の自分はなかった。
そんな風に感じ、過去の選択に思いを巡らせる瞬間は、たくさんある。

自分以外の人をエキストラに見立てて、なんて言うと怒られてしまいそうだけれど、自分が生きている空間は自分視点で綴られているので、主人公と言ってもいいだろう。
そうなると、街ですれ違う人たちや、たまたま電車に乗り合わせた人たち、目的地にたどり着けず道を尋ねてきたおばあちゃんも、僕の物語の行末を左右する、貴重な存在だったということになる。

が、街ですれ違う人たち、電車に乗り合わせた人たち、道を尋ねてきたおばあちゃんも、それぞれに自分視点の物語を持っている。だから、彼ら彼女らからしても、僕は彼ら彼女らの物語の行末を左右する、貴重な存在だったということになる。

今の僕がこうしてここにいられるのは、彼ら彼女らの影響が多かれ少なかれあり、彼ら彼女らが今そこにいられるのは、僕の影響が多かれ少なかれあるということだ。

たとえば僕がそういった調和を少し乱す、もしくは、彼ら彼女らがそういった調和を少し乱す。そうすることで、因果関係の軌道が歪む。こうなるはずだという無意識の期待が裏切られ、そうなったのかという驚きを生む。

予想だにしない結末に、僕たちは、えへへ、と照れ笑いしたり苦笑いしたり。
そういうことを日々、繰り返している。脳内の意識だけに限っていうと、無数に繰り返しているはずだ。あとはそれを綴ればいい。綴ってみるだけで、新しい物語が生まれる。

日常のなかに無数に転がるショートショート。
その招待状は、いつもあなたのその手のなかにある。


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これまでの常識が、いかに形骸化してしまっているか、気づいた人だけが生き残れる時代がくる。-書評-『多動力』『無敵の思考』『だから数字にダマされる』

常識なんかに囚われるな。

そう背中を押してくれるのは、ロックや文学だけと思っていた。常識や当たり前や普通という概念からはみ出して、ありのままで生きる。そういう思想は、カウンターカルチャーやサブカルチャーのなかにしかないと思っていた。

もちろん、ビジネスシーンになど、ないと。

ところがだ、今のビジネスシーンに目を向けてみると、世の中を見渡し、見通し、自由に生きながら高い技術力やサービスの提供能力で、世をどんどん楽しく便利にしてくれている人たちがいることに気づく。

たとえば、堀江貴文。
たとえば、西村博之。

彼らの考え方に触れていると、とても爽快で痛快な気持ちになる。
既得権益はますますダサくなり、常識人たちは今の時代に太刀打ちできなくなっている。社会のそんな醜態をむき出しにしてくれる彼らの考え方には、共感どころか尊敬すらしてしまう。

ビジネスシーンでも、常識なんかに囚われるなと諭してくれている。

ということはだ、くだらない常識や当たり前や普通に縛られているのは、僕たちのせい。自分たちがそれを選択し、そうやって生きながら、それに対し不満を抱いているだけ、ってことなんだ。
社会がどうとか会社がどうとか、他人のせいにしているけれど、結局は、自分たちが選択したことなんだ。

これまでの常識が、いかに形骸化してしまっているか、気づいた人だけが生き残れる時代がくるんだろうな。


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ショートショートなら、裏切られた後、とても愉快な思いができる。-書評-『サキ短編集』

物語を読み進めて行くと、どんどんとそのスピードがあがっていくことに気づくことがある。
読みはじめは、まだその世界に慣れていない。だから、景色の描写を脳内で再現したり、登場人物へのシンパシーを感じたりに多少の苦労をする。

ところが。

それに慣れてしまうと、どんどんと読み進めるスピードがあがる。
そして、作家が書くよりも手前で、「(登場人物の)こいつだったら、きっとこう言うだろうな」とか、「物語はこういう方向に進むだろうな」とか、無意識のうちに期待しはじめる。

最初は期待程度だったものが、さらに物語に没入すると、それが決めつけに変わる。
「絶対にこう言う!」「絶対にこうなる!」っていう具合に。

そこでだ。作家はこう思うんだ。
その決めつけを華麗に裏切ってやろう。

ユーモアたっぷりに、歯切れよく、豪快に、読者の決めつけを裏切る。それもほんの短い物語の中で、それをやりきる。

人間関係なら、裏切られた後は、とても不快な思いをする。
ショートショートなら、裏切られた後、とても愉快な思いができる。
むしろ、裏切って欲しくて、ショートショートを読んでいる。

ショートショートは、やっぱりおもしろい。


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人生の最終的な到達点に辿り着くまでの余興が、あなたを待っている。-書評-『30の神品 ショートショート傑作選』

人の一生は、時間にすると、それほど短いものではないだろう。
やりたいことの量だとか、挑みたいことの量だとかによって、人それぞれ、その長さの感じ方は相対的だろうけれど、時間にすれば、決して短いものではない。

で、一生を終えるその間際、自分の人生を総括し、物語を振り返る。仮にそれを、長編小説としてみよう。
そうすると、日々起こる出来事に、一喜一憂、泣き笑いしたり、驚いたり、驚嘆したり、そういったことのすべてを僕は、ショートショートだと考えている。

決して短くない一生の中にあって、ショートショートはたくさんあるほうがいい。
一生をかけて、屈強で巨大な箱をこじ開け、その中身を知ることが最終的な人の到達点だとしたら、目の前にある無数の小さな小箱を開けては、感情を揺さぶらせること、それは最終的な到達点に辿り着くまでの余興なのではないだろうか。そしてそれが、ショートショートであると考える。

大人になるにつれ僕たちは、時間がないことを理由に、いろんなことを諦めて行く。
たとえばこんな会話。
「まだ、バンドやってるの?」
「仕事忙しくて、そんな時間ないからね。もう、やってないね」
時間がないからできないらしい。

成功者はこう語る。時間は自分で作るものだと。
でも、僕たちの多くは、そんなに優秀にできていない。眠いときには惰眠を貪るし、飯や酒で満たされる時間も確保したいし、自慰行為の時間だって確保したい。そんなことをしていて、時間なんか作れるわけがない。

それに挑むために二時間かかる。でも、二時間もそれに費やせる時間的な余裕がない。だから、諦める。
じゃなくって、じゃあ、5分でできることはないかと考えてみよう。長編小説を読む時間はなくても、映画を1本観る時間はなくても、ショートショートなら読める。そして、その気さえあれば、ショートショートだって書ける。

もちろんショートショートを書くことは、そんなに甘くない。構成や展開、導入やオチなど、かなり緻密に練らねばならない。だから、そんな簡単に書けるものではない。でも、簡単に書き始められる。それが、ショートショートの最大の魅力。

現代の人たちはどうやら、そうとう時間がないらしい。携帯電話やメールに追いかけられて、24時間仕事とも臨戦態勢だ。仕事が忙しいからと、恋人に会う余裕のない人だっているだろう。

でも。たとえ恋人に会う時間がなくっても、ショートショートを読む時間なら、あるよ。
たった3ページ。たった3ページでいい。あなたの時間を割いてみて欲しい。人生の最終的な到達点に辿り着くまでの余興が、あなたを待っているから。


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恋愛には、嬉しいこともあれば辛いこともある。あと、不思議なこともたくさんある。-書評-『落下する夕日』

恋愛に埋没している人の心には、常に不思議がつきまとう。そして、その不思議はやがて常識になり、それが欠けると、心が不安定になる。自分にしか見えないその常識が、他人の価値観との距離を生み、どんどんと孤立し、孤独になる。

恋愛のためだったら、積み上げてきたものだって壊せたり、時間だって無駄にできたりする。それほどまでにして手に入れたものが、どれほど価値があるものかなんて、もはや冷静に分析も解析もできない。できないけれど、手に入れたい。手に入れ続けたい。そう願う。

愛したいのか愛されたいのか、求めたいのか求められたいのか。相手を独占したいのか自分のすべてが満たされたいのか。
恋愛が「私とあなた」だけのものだったら、どれほど安心して毎日を暮らせるだろうか。恋愛はいつだって、「私とあなたと、誰か」だから、心はいつも落ち着かない。

たとえば、こんな言葉を耳にすることがある。
「別れたあとも、友だち」
こんなキレイ事が言えるなんて、きっと付き合っているときから、友だち以上ではあるものの、恋人未満の心の繋がりだったんだろう。そうじゃないと、あり得ない。
根深い恋愛の末は、別れたあと、きっと相手は、浮遊する存在になる。他人ではない。友だちではない。でももう、恋人じゃない。だけど、恋人だった人。どこにも属さない、浮遊する人。

こんなにも、心をかき乱す恋愛というものの正体とは、いったい何なんだろうか。
他人にとっての非常識さえも、常識にしてしまう力を持つ恋愛。

その先に幸せが待っていないとしても。待っていないと知っていても。それでも求めてしまうもの。
隣にいる人に依存することで、心をいっぱいに満たしたい、刹那的な欲求なのだろうか。


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世界中のすべてが笑っているように見える中にある、確かにある私という違和感に、誰か気づいてくれるだろうか。-書評-『夫のちんぽが入らない』

人間の性格って、どうしてこうも違うものだろうか。
過剰に繊細な人間もいれば、目も当てられないほどガサツな人間もいる。マイナス思考やプラス思考、消極的や積極的。ほんとにいろんなタイプの人間がいる。

寡黙な人だって、心の中では多弁。心で多くを語れども、声には出さず、自分の中でそれらを消化する。消化不良を起こした思いたちは、蓄積、堆積、鬱積し、苦悩を引き起こす。
ミルフィーユ状になったそれらは、他人の手ではもちろん、自分の手でさえ救えない。そのことさえもまた苦悩の仲間入りを果たす。

自分を過小評価したり、卑下したり、自己否定したり自己嫌悪に陥ったり。悪循環はいつだって加速していくから、かなりの時間をかけて産み落としたポジティブなイメージも、刹那的に破壊していく。

もしも、大切な人にさえ、大切なことを訴えられないとしたら?

それはとても悲しいこと。それはとても苦しいこと。もがき苦しむ末に、何が待っているのだろうか。苦悩から解放される日は、やってくるのだろうか。

世界中のみんなが笑っているから、自分も笑ってみた。それを俯瞰すると、きっと世界中のすべてが笑っているように見えることでしょう。でも、自分の心は笑っていない。苦悩の泥沼の中に、足を沈めたまま。世界中のすべてが笑っているように見える中に、確かにある私という違和感に、誰か気づいてくれるだろうか。

暗闇の中にあって、救いを求め手をばたつかせてみる。何かに触れた気がした。でも、きっとそれは錯覚。何かに触れることなんてない。だって、闇の中には、誰もいないんだから。自分ひとり、孤独に存在しているだけなんだから。


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人を想う距離。あなたを想う距離。-書評-『そういう生き物』

人を想う距離。
手を伸ばすことに戸惑うその距離は、でも縮めたい、でも縮められない。
それに焦がれながら過ごす一日は、なんと短いものだろうか。

人には見せられないこと。
心のなかの湿地帯には、ひた隠しにしたい、けれど知って欲しいことが。
それに焦がれながら過ごす一生は、なんと長いものだろうか。

理性がおりこうさん、だとしたら、心はやんちゃ坊主。
心のおもむくままに生きようとしても、理性がそれをいつもとめてしまう。
人を想う距離。
そこに手を伸ばしてしまうと、何もかもが壊れてしまいそう。
築き上げてきたものが崩壊するのは、一瞬なような気がする。
また、理性がそれをとめてしまう。

手を伸ばして触れられる距離に、あなたが居ても、そこには手を伸ばせない。
たとえば、体温を感じるだけだったり、たとえば、寝息を感じるだけだったり。
ささやかで、密やかな欲望を感じながら抑えながら、今日も更け行く夜。

あなたを想う距離。


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その物や人を失うのではなく、「当たり前」を失うだけなんだ。-書評-『永い言い訳』

人間の最も愚かなところ。
それは、大切な人がいつまでもそばにいると信じ切っているところ。
大切な人の命が、いつまでもそばにあると信じ切っているところ。
自分の命が、いつまでもここにあると信じ切っているところ。

そして、たとえ大切な人を失ったとしても、失ったことが正しかったんだと自分を正当化し、愚かな選択を美化し、自分を保とうとする醜態。
まるで不老不死でいるかのように、命や時間を粗末にし、「誰しも死んだら生まれ変わってくるよ」と涼しい顔して言わんばかりに、大切な人の命さえ軽んじる始末。

認めたくはないが、それこそが人間だ。
大切な人、大切なものを、大切にできない。
失ってから後悔するのは得意なくせに、失う前に気づかない、愚かな人間。
認めたくはないが、それこそが人間だ。

ご存知の通り、人の命は、一度きり。それを忘れてか、気づかぬふりしてか、何もかもを粗末にする人間の、なんと多いことか。
「一度きりの命なんてこと、知ってるさ、知った上で、無駄にしてるんだ」と自慢げに吠えているなら、その生き方を選ぶ権利は、君にはない。君が望んだ命じゃない。親が望んだ命だ。その生き方を選んで、君に課せられるのは、親しかいない。

こんなことを頭で考えていると、やたらめったらカタブツになってしまう。
頭で考えていても、ロクなことはない。
だから、心で感じるしかないんだ。
心?
心で感じるときは、もう、手遅れなのか。
この言葉の意味、分かるだろう?
だって、失ったあとじゃ、悲しみしか感じられないじゃないか。
そうか、だから僕らは、後悔ばっかりしてるのか。


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手にしたときの喜びよりも、失ったときの悲しみのほうが大きな男女こそが、恋愛においては強者なのだ。-書評-『痴人の愛』

男は女を自分の所有物と勘違いしている。ところがだ、女にその心を奪われた瞬間に、女の所有物と化してしまっていることに、なかなか男は気づけない。
自分が用意した檻の中に女を閉じ込めようとする。嫉妬に狂った結果、女を逃すまいと、さらに独占の欲を強める。自分が飼っているのだと安堵する。しかしだ、男は、女を飼えない。逃げるも逃げないも、女の意思ひとつ。逃すまいとしたところで、逃げるという意思を持たれたならば、すべてが破綻することも知っている。知った上で、女を自分の所有物であるかのように勘違いする。勘違いすることで、自らを安心させている。

こんな滑稽なことがあるだろうか。男はとても滑稽だ。

女に心を奪われてしまった後の男は、もはや廃人。自分の意思など持つことはできず、女の所作に振り回されながら生きる。しかも、振り回されることを自ら望んでいるきらいがあるから、尚のこと滑稽だ。

もしかすると、それはもう、愛なんてもんじゃないのかも知れない。喪失を恐れる感情や、所有物だったものを失う焦燥感、他人の手に渡ってしまうことへの敗北感。それらが相まって相まって、結果的に、愛に見えているだけで、個別に分解すると、もはや愛なんてもんじゃないんだろう。

果たして、美男美女やら、皆が一様に望むような、高いステータスを持った男女が、恋愛において、最も優秀な存在なのだろうか。それは、圧倒的で決定的に違う。心が奪われるほどの存在には、美男美女やら、それらの男女は決してなり得ない。
なぜなら、それらの男女というものは、「手に入れたときの達成感、満足感、快感」ばかりが大きく、そこに目が行きがち。その分、失ったときの喪失感は薄れがちだ。人が愛に気を狂わせるのは、後者に取り憑かれたとき。美男美女など、一般的に恋愛において優秀とされる男女は、そんな存在になり得ない。

手にしたときの喜びよりも、失ったときの悲しみのほうが大きな男女こそが、強者なのだ。

そして思う。
失ったときの悲しみに満ちた女と出会ったあとの男は、もはや、使い物にならない。たいそう、情けない。そして、やはりこの言葉が似合う。なんて滑稽なんだ。愛くるしいじゃないか。


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常盤 英孝
自分史[プロフィール]

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。

どうにかロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける日々。

大阪を盛り上げるべく、たくさんの人と出会い、とにかく"コトを起こす"ことをお酒の肴に呑んだり、わいわいやったり、時には本気で"コトを起こしたり"など。

日々、書き、描き、話し、モノづくりをしています。

モノ書きとして活動しながら、中小企業・個人事業主の方々のWebサイト制作のニーズを叶えるべく、そのお手伝いもしています。

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