大阪モダンディスコ

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。 ロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける。

面白く生きるのではなくて、生きることは、そもそも面白い。-書評- 『永遠も半ばを過ぎて』

日常とはユーモアの連続だ。
何も、ユーモラスに生きる必要なんて、ない。
日常そのものが、ユーモアの連続だから。

目新しいことなんかしなくたって、無駄に高いお金を支払わなくたって、誰かに用意された刺激の中に埋没しなくたって、普通に生きていて、その中で、普通の自分を感じながら、日常の面白さを味わう。

生きること、風情、情緒、当たり前、普通、いなせ、粋、ただ生きる、ただ生きる。

些細な空想から、微細な妄想から、何かが狂い出して、その狂いこそが、日常の中の違和感になって、その違和感って、新鮮で、斬新で、知らない自分に出会えたり、知らない景色に出会えたり、あとは、いつもの自分を違う風に感じたり、いつもの景色が、見たこともない景色に感じたり、そうすれば、しめたもの、それが日常の面白さ。

ただし、とっても、マニアックに生きたいものだ。
自分が日々やっていることが、たとえ、他人から見て、くだらないものだとしても、そのことに対して、誇れはしないにせよ、マニアックに、誰よりも深く、誰よりも楽しんで、自分だけが独占する、そんなものにしていたい。

薄っぺらいのなんて、味気ないから。
薄っぺらいのなんて、しょうもないから。

他人に理解なんてされなくたっていいんだ、誰にも迷惑をかけなければ、別に。
他人に理解されることなんて、とても、しょうもないんだ。

そして、その、他人の理解を超えた珍妙な日々の中で、頬を赤らめるような出会いがあったり、自分にしか理解できない拘りで涙したり、誰の目にも触れない物語が発動したりする。

それを称して、生きるというならば、生きることは、特異で奇異で、それでいて、豪華な演出で設えられていると感じやしないだろうか。

たとえば、立ち飲みやの暖簾の向こうに、日常の風景を爆発させるほどに衝撃的な出来事が、待ち受けてるやもしれない。

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長く長く続く、あなたの人生の中の沈殿物として、どうぞ。 -書評- 『ボッコちゃん』

ショートショートに取り憑かれてから、ずいぶんが経つ。
ショートショートを書くようになってから、ずいぶんが経つ。

こんなにも、にぎやかに感情が揺さぶられること、ショートショートにしかない魅力だと思う。

ある物事があるとする。
青色を見て、青色と思う。
そして、その青色を、青色だと表現しようとする。
その表現こそが切り口で、ショートショートには、その切り口のご法度がない、と勝手に解釈している。

要するに、面白ければ、それでいい。

たとえば、クシャクシャに丸めたチリ紙を、少し離れた場所から、ゴミ箱に放り込もうとする。
狙いを定める。
投げる。
行方を見守る。
そして、ゴミ箱の中に、スポッ。
その瞬間の、心がスカッとする感じ。
僕の中では、ショートショートから味わう痛快な気分は、そんな感じ。

でも、それが難しく、仕様もスペックもカラーもさまざまで、だから、面白い。

伏線は?問題定義は?主義主張は?ミステリアス?ホラー?SF?サイコ?お笑い?
表現方法は?感情表現は?人物描写は?情景描写は?

これほどまでに短い世界の中で、これほどまでに中身が凝縮されている。

昨今の人たちは、ビタミン剤やサプリメントで、手っ取り早く栄養分を補ったりしているそうだ。
手っ取り早く、痛快さを吸収したいなら、間違いなくショートショート。

だけど、侮ってはいけない。

手っ取り早く吸収したものが、生涯続く印象として残ることが、何度もある。
こんなにも短い世界が、長く長く続く、あなたの人生の中に、沈殿物として、残り続けるからこそ、面白い。

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大阪人として大阪を語ってみようと思った

まずはじめに、僕は大阪という町が、めちゃくちゃ好きである。
日本という国がどうかは知れないが、大阪という町は、世界に誇れる町だと思っている。

大阪は、人で成り立っている。
だから、好きだ。

テレビの企画などで、町行く一般の人たちが登場することはよくあるけれど、大阪の人たちは、問答無用、圧倒的に面白い。受け答えにしてもしかり、リアクションにしてもしかり、笑う姿にしてもしかり。

それは総じて、サービス精神と目立ちたい精神。
このあつかましさが、好きだ。

20140607

先日、大阪は千日前、老舗の立ち食い焼肉に、十数年ぶりに顔を出してみた。
七輪が四つあるだけの店。お客は狭い店内に肩寄せ合って、ホルモンを堪能する。時には見知らぬお客と、七輪を共有し合いながら、ホルモンを楽しむ。

えらく久しぶりに来たもんで、感慨深い気持ちに浸りながら、ガツガツとホルモンを食べつつ、お客たちに目をやる。
ひとりで来店し、黙々とホルモンを食している、僕よりやや人生の先輩といった風情の男性。
その隣には、僕よりやや人生の後輩といった若い二人組の男子。
おもむろに男性は、

「どうせ残ると思うから、飲みーや」

と言いながら、その若者たちの、グラスに瓶ビールをついで行く。
いきなりの好意に一瞬だけ若者たちも驚いていたみたいだけれど、グラスに注がれたビールを持って、その男性に、「いただきます、乾杯!」グラスをぶつけ合う。

男性は少しだけ男前に笑って、また黙々とホルモンに手を伸ばし始める。

その後、店も繁盛してきて、四つの七輪の数よりも、お客の数のほうが多くなる。
お客ひとりに対してひとつの七輪があるわけではないので、お客同士、七輪を共有し合って食べる必要がある。

ある若い男子が、隣のお客の使っている七輪にホルモンを置く際に、「おじゃまします!」
清々しい礼儀に、心が躍りだしそうになった。

こんな光景を風情と呼ばずして、何を風情と呼ぼうかしらん。

とにかく僕の中では、世界は、大阪と大阪以外、と言い切ってしまうくらいに、大阪という独特の人文化が好きなわけで、ウルフルズの大阪ストラットという曲の歌詞にもある通り、「他に比べりゃ外国同然」というのは、ズバリ、よう言うた!なわけである。

僕の住む町には、天使のダミ声と称される憂歌団の木村充揮が住んでいる。
木村充揮というシンガーは、心の底から唯一無二のブルーズマンだと思っていて、あの声、あの表現、あの全てが、誰にも真似のできないものであり、聴いていて笑いながら涙を流すことのできる数少ない歌い手だ。

一度でも木村充揮のライブを観にいったことがある人は知っていると思うけれど、そのライブでは、大阪の人間臭さが満載。

ライブを観に来たお客たちは口々に、

「おーい!木村のおっちゃんー!」
「あほー!」
「早よ歌えー!!」
「次歌う曲、忘れたんと違うかー!」

木村充揮にガヤを飛ばす。

「やかましわ、あほー言うもんがあほじゃ」
「どっちがおっちゃんじゃ、あほ」
「早よ歌とたら、演奏失敗するさかいなあ」

と、客席からのガヤに応える木村充揮。

いざ演奏が始まると、その歌声と演奏に、会場中は、完璧に魅了される。
曲が始まるや否や、今までガヤやツッコミを入れていたナニワのおっちゃんから、絶対に手の届かない孤高のアーティストに変わることを、お客たちはみんな知っている。

大阪人以外なら、この光景を見れば、表現者というものの価値観が大きく変わることは間違いない。
大阪では、「そんなん、当たり前」である。
気取ってる人間なんか相手にせんし、繕う、着飾る、そんなんいらん。

それほど愛してやまない大阪が、今やどんどんと変わって行ってしまっている。
無機質で巨大なビルが建ちまくったり、老舗のアーケードや商店街が取り壊されたり、繁華街もどんどんと整備されたり。

まるで、東京の真似事みたいなことばっかり。

人が肩を寄せ合える場を作らないと。
それで自然と会話が生まれて、笑いが生まれて、環ができる場を作らないと。
七輪を間借りする時に、「おじゃまします!」と言える大阪らしさを消したらあかんのですよ。

流行もんみたいな施設ばっかり作って、流行もんみたいな街にしていくから、若い人たちは風情を知らずに育ってしまうわけで、そうしたら、「関西弁を喋る東京の人」みたいな、そんな何処ともつかないような世代が出来上がってしまうと思うわけだ。
木と同じ。苗木づくりから、立派な木になるまで、何年もの年月が必要だ。
手っ取り早く、都会的な木ばかりを植えまくったとしても、そこには何の文化も根付かない。

僕は大阪という町が、めちゃくちゃ好きである。
だからこそ、言いたい。

「大阪を変えないと!」「大阪を変えよう!」と、やたらと叫ばれる昨今。
大阪人が、何か悪いことしたか?
大阪人が、自ら望んでしたことで、大阪が悪くなったんか?

全て、政治や行政などと呼ばれる地位と名誉と権力ばかりを気にするお偉いさんたちが決めたこと、それのせいで勝手に「変えなあかん」状態になってしまったんじゃないのか?
自分たちで悪化させておいて、「大阪変えよう!」は、ないだろう。

先日、東京のお客さんと仕事でしゃべっている時に、

「大阪って、何か、ビルできるんですよね?」
「あべのハルカスですね」
「ハルカスっていうんだ?あれって、何かめちゃくちゃ高いんですよね?」
「日本で最も高い超高層ビルなんですよ」
「へぇー。そうなんだねえ」

世の中の事情に疎い幼子と話していたわけじゃない。
立派に仕事ができる、知識も常識も良識も豊富な、一般的な男性の方だ。

結局、あべのハルカスなんか、東京の人には知られていないし、興味さえ持たれていない。
東京の真似事なんて、そもそも出来ないし、やっても意味がない。
お偉いさんは、今後、大阪をどこへやろうとしているのか。

アメリカ軍の基地が移設されることに反対を示す気持ちは、理解できるんだろう?
それじゃ、意味のわからん施設がボコボコと作り上げられ、町が犯され続けているのに、なぜに何も感じんのだ?

全てを肯定するわけじゃないが、アメリカ軍は、世界の警察として、この世界を守っているそうだ。
大阪のお偉いさんは、じゃあ、何を守ってくれるんだろう?

嗚呼、冷えた瓶ビールが、うまい季節だ。

自分にしか持ち得ない描写、解釈、感覚、それらを覗き見させてもらうといった趣と世界観の原点。-書評- 『先端で、さすわさされるわ そらええわ』

自分にしか理解できない描写、解釈、感覚、それらは確かに自分の中に存在している。

でも人は、何かを感じ取った瞬間に、世の中的に理解できるような描写、解釈、感覚へと変換して自分の中に蓄えようとするから、だから、味気ない感覚ばかりが、心の中に蓄積されてしまう。

でも本当には、自分にしか理解できない描写、解釈、感覚で、全てのことを吸収してしまってもいいはずで、誰かと馴れ合いながら、貧弱な絆でもって生きて行くことを、自分に課すことさえしなければ、脳内はきっと、そんな特殊な香りに包まれていても、いいんだと思う。

信号の色なんて、緑と茶と、黒で、いいんだって。

そんな風に自分を解放してやることができれば、通い慣れた道とか、見慣れた風景とか、ありきたりな日常とか、そんなもん、全部なくなってしまうわけで、そうすれば、自分の中だけの世界に、ずっとずっと、引きこもっていられる。

それが、いいか悪いかは、別として。

それでいても、引きこもった自分のままでも、上手く社会と折り合いをつけたように生きて行くこともできる。

そう、道化。

お道化ていさえすれば、心の中がどんなに闇に支配されていようとも、風通しのよい心の持ち主であるかのように、イミテーションとして、生きて行くことができるし、世の中の苦味や苦味や苦味なんて、道化の笑顔が浄化してくれる。

世を、もっと、情念を持って眺めてみれば、ぐにゃぐにゃに歪んだ言葉だって見つかるだろうし、なんだか濃くてドロドロとして飲みにくいドリンク、つまりは、喉ごしなんて全くないような、濃密な自分が見つかるかも知れない。

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だから本当は、生きることこそが、ひとりぼっちなんだと思う。-書評- 『罪の余白』

ぼくたちは、いつでもどこでも他人の目を気にして、他人の評価を気にして、他人にどう思われるか、他人にどう思われているか、そればかりに囚われて生きている。

洋服を着飾ることだってそう、髪型を気にするのだってそう、聞きたくもない話に相槌を打つことだってそう、愛想笑いをすることだってそう、Facebookで自分の自慢をすることだってそう、誰かの悪口に相乗りすることだってそう。

地球に君が、地球にあなたが、地球にぼくが、もしもひとりぼっちだったとしたら、きっとそんなことはしないはず。

それなのにぼくたちは、来る日も来る日も、他人ばかりを意識して生きて、口では他人のことなんか気にしないなんて、キレイ事を言ってはみるものの、毎日のわだちは、きっちりと他人の方を向いているんだ。

そして、その他人からの評価の全てが、自分にとって都合の悪いものへと、ある日突然変わってしまうとしたら?
これまで繕ってきた他人からの評価が、ガラリと不都合なものへと変わってしまったとしたら?

それは、学校だけでなく、社会でも起こりうる。
イジメはどんな場所にでも起こる。

そんな不都合な場所からは、逃げ出してしまえば?
そう思うかも知れない。

でも、ぼくたちの多くは、他人の目ばかりを意識して生きるだけでなく、自分のいる半径数十メートルの世界だけが、自分の生きる場所だと思い込んでしまう。

そうなると、もう雁字搦めになってしまうんだ。

死は、君だけのものじゃない。
ひとりぼっちでは、死ぬことはできない。
君が置き去りにしたものたちは、ずっと残り続けるから。

だから本当は、生きることこそが、ひとりぼっちなんだと思う。

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若者たちだけが集うことのできる、放課後という時間。 大人はそれを、傍観することさえ許されていない。 -書評- 『放課後』

若い世代とそうでない世代には、『捉える重み』に、圧倒的な乖離があるんだろう。

自分自身のこと、自分自身に巻き起こること、周りのこと、周りからの評価、そして周りから受ける評価や影響を織り込んだ末の自分の姿、そして世の中のこと。
それら全てを繊細に捉えるからこそ、全てが大きな問題になってくる。

その大きな問題を、小さな消化器官で消化しようとするから、負荷も多くなり、時に消化不良を起こしたり、心の負担や疲れを引き起こしてしまう。
それこそが、若い世代が一様に抱えている『正体の見えない不安』なんだろうと思う。

それに比べて、生きることに慣れてしまった、若い世代ではない世代の人たちというのは、もう、知ってしまっているから、いろいろと知ってしまっていて、既に持っている答えの中で、何もかもを処理しようとするから、そして、人間が生きるフィールドというものは、かなり多くの部分を、ルーティーンが占めているから、慣れてしまえば、ある程度惰性で進むことだってできる。

そして、その惰性な感覚こそが、若い世代との、圧倒的なギャップを生んでしまう。

大人は、自分たちが既に知っている答えの中に当てはめて、若い世代を見て、聞いて、判断しようとする。
自分にないものをその中に見出そうとする勇気よりも、ある種の掌握、君たちの言うこともわかるよ自分もそうだったから、その考え方じゃ通用しないよ経験上、そのまま行けば答えは見えているよ常識的に、といった風に、手にした物差しで推し量ろうとする。

でも、その、既に持っている物差しで推し量ろうとする行為は、楽で楽で、手抜き極まりない。
だって、物差しで測れる部分以外は、存在しないものとして扱ってしまえばいいんだから。

きっと、若い世代には、大人たちのその、手抜きな感じこそが、胡散臭く、忌み嫌う痴態として、吐き気がするほど嫌悪の対象になるんだと思う。

上限が決まっている前提で、その範囲内のものしか測ることのできない物差しを、まだ手にしていない若者たちだけが集うことのできる、放課後という時間。
大人はそれを、傍観することさえ許されていない。

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幕切れが来るまでは終わることなく動き続けている、この名も無き世界。-書評-『名も無き世界のエンドロール』

僕たちの毎日も、本当はこんなにもドラマチックなことが潜んでいて、ドラマチックな事情に満ち溢れながら生きているはずなのに、それを見ようともせずに、日々の人間関係や日々の仕事に追われまくりながら、味気のない日々を生きた気がしている、自分勝手な生き物、現代に巣食う人間たち。

こんなにも個人的な事情を抱えて生きている人間たちの毎日が、本当は、味気ないもののはずがないのに。

自分の目に映る世界に住む人たちは、全て、自分にとってのエキストラかも知れないけれど、そのエキストラの人たちから見れば、僕たちも単なるエキストラであって、となると、そのエキストラの人たちも、日々を主役として生きていて、だから僕たちは、その主役として生きている人たちの中の、ただのエキストラに過ぎない。

言い換えてみれば、人間の数だけ、主役の物語が、あると。

その物語のほとんどは、人に知られることもなく存在している物語で、それはすなわち、名も無き世界ということになる。
その名も無き世界の中で、人間たちは、死ぬほど笑ったり、死ぬほど泣いたり、時に本当に死んでしまったり、時に死ぬことを踏みとどまったり、まるでフィクションとして創られたようなストーリーをノンフィクションとして生きている。

その世界のことなんて、誰も知らなくったって、いい。

でも、そこは、紛れもなく世界で、その世界の中で僕たちは生きている。
あっけない幕切れが来ることを怖れる気持ちに気づかないフリをして、台本をペラペラとめくり続けている。

生きてるだけで充分じゃないか、というような生温かい言葉もあるかもしれないけれど、そうは思わない。

少しでも多く、この素晴らしき世界を味わってやりたいという、貪欲な気持ちで、自分の名も無き世界を謳歌してやりたい。

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あなたが周りから受ける演出と、あなたの内で滾る熱量について。

人が生きている中で巻き起こるいろんなことは、その人へのあくまで演出なのではないかと思うに至る出来事が、たくさんたくさんあるもんで、人によってはそんなことを言ってしまうと、怒られてしまうんじゃないだろうかって気もするけども、ともかくそんな風に思ったわけです。

スーパーマリオブラザーズというゲームをやったことがあるでしょうか?
そのゲームの中で、水中のステージがありまして、その中でマリオは泳いでステージを横断していくわけですが、コントローラーのボタンを押すと、マリオがプカッ、もう一度押すと、またしてもマリオがプカッ、ボタンをエイエイと二度押すと、マリオがプカプカッと、浮き上がるわけ。
つまりは、ボタンを押さないと、連打し続けないと、マリオの身体は浮き上がろうとすることを忘れ、どんどんと沈んで行くことになるのです。

だから何が言いたいのかというと。

20140215
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「質も量も」という欲張りな願望から、僕はショートショートを読み漁る。-書評- 『猫の事件』『短編小説より愛をこめて』

一冊の中で、笑いや興奮や感動を、たくさん味わうことのできる、ショートショート、短編小説。

もちろん、長編小説のように、末永く尾を引く読後感はないかも知れない。
と思いきや、侮ることなかれ、短編小説にはもちろんのこと、ショートショートにも、永代語り継ぎたくなるような名作は多数ある。

そんな一作に出会える喜びが忘れられなくて、今日もショートショートを読む。

阿刀田高氏も、『短編小説より愛をこめて』の作中で、こう語っている。
読書はすばらしい。何より楽しい。安価で、どこでもいつでも一人で楽しめる。
なかでも、読者に時間をとらせず負担をかけない短編は、「礼儀正しい文学である」。

これほどまでに、短編小説の『人となり』を言い得たひとことは、これまでに見かけたことがない。

またしても、ショートショートの魅力に取り憑かれた人間が、新しい短編小説に手を伸ばしてしまう。そんな中毒性が、たまらなく好きだ。

こんなにも短い文章量の中で、しかも読者がその作品に触れている時間は、ものの3分から5分程度。
その中で、これほどまでに、笑いや涙、毒や薬、感動や怒り、アンチテーゼやプロパガンダ、マニフェストだろうが何だろうが、徹底的に洗練された言葉を持って詰め込み、練りに練られた構成の中で、オチまで持っていけるショートショート。

短編ファンの阿刀田高氏は、短編小説と『心中してもいい』と言ってのけるほど。
確かにそう言われてみれば、僕はショートショートと『無理心中してもいい』とまで言ってしまいたいくらいに、こよなく愛している。

人生、楽しみは多いほうがいい。
読書だって、そうだ。

「質より量を」という意味でショートショートを選んでいるわけではなくって、「質も量も」という欲張りな願望から、僕はショートショートを読み漁る。

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青春とは、切り取った1ページの、その次のページからが大切で、切り取らずに残るページこそが、素晴らしい。 -書評- 『ウォールフラワー』

青春とは、1ページを切り取って眺めるものなのだろうか、果たして。
ある部分を切り取ってしまわないと、青春とは成り立たないものなのだろうか。

そういったことを、最近よく思う。

なんで大人たちはみんな、自分は年を取ってしまったと思いたがるのだろうか。
なんで大人たちはみんな、何事も諦めた素振りをしたがるのだろうか。

今、手にしているものの中からでしか、楽しみ、喜び、嬉しさ、悲しみ、苦しみ、悔しさ、その中からでしか味わえないなんて制限は、誰からもされていないはずで、ちょっと目を向けてみれば、新しい世界にそれらはたくさんあって、手を伸ばせばその世界に触れることもできて、ほんのちょっとの勇気と、多大なる言い訳を捨ててしまえば、いつだって、そんな素晴らしい世界は広がっているというのに。

みんなみんなみんなみんな、今、手にしているものの中から、カードを切ろうとする。

若い頃は、無知だから、若気の至りだから、傍若無人だから、省みずだから、だからどんなことでもできたのさ。
今では知識も知恵もついちゃってるから、何でも頭で考えてしまうし、行動できないよね。

あほんだら。

世界には、君の知らないことだらけ、君の知らないことばかり、君が知ってることなんて、ほとんどない。
人間様は、すぐにのぼせ上がるから、いただけない。

こんな風に思うんだ。

青春とは、切り取った1ページの、その次のページからが大切で、切り取らずに残るページこそが、素晴らしいと。

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今年の棚卸し

怒涛のように過ぎて行った、今年一年。
最後の追い込みをかけられる数日は残っているにせよ、今年もやはり一年の棚卸しをしてみようかと。

今年を漢字で表すとするならば、

『書』『笑』『音』

とでもなるだろうか。

最近では、年も少々食ってきたせいか、しばらく前のことを思い出せないという貧相な脳みそになってきているような気がして仕方がない。
写真やら文書やら、そういったものを見れば、その頃界隈の思い出は容易に蘇ってもくるが、脳内だけで時間を遡っていると、途端に靄がかかったようになり、輪郭がぼやけ、おぼろげになってしまうという不甲斐なさ。

「ほんとに今年一年も、いろいろあったねえ。あれとかこれとか、あんなこともこんなことも…」

などと回顧して振り返られる思い出が、どれもこれも、11月やら12月やら、良くて10月やら、その辺りの話一辺倒で、それより向こう側が思い出せないという始末。

まぁそれもこれも、新しいことをどんどん詰め込んで行けという印なのかも知れないので、それはそれとして、甘んじておくことにする。

さあて、今年一年を振り返ってみようかしらん。
ん?何も思い出せない…。
俺の記憶力、どこへ…。

20131222
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自分の導いた答えというものが、自分の手作り品で、自分だけにしか見えないものだったとしたら? -書評- 『ライ麦畑でつかまえて』

目に映るもの全て、何にだって過剰に反応してしまう。そして、自分の中に巣食うもうひとりの自分との対話は絶えない。そうやって導き出した答えを、世界に存在するたった唯一の答えだと思い込んで、何だってやり過ごす。

若い頃って、なんて多感だったんだろうと思うのと同時に、少なくとも僕は、歳を重ねても未だに多感で、だからこの社会とも未だに折り合いを付けられずに、疑問ばかりを抱いて、反抗することばかりを考えている。

年を取ることは、どんどんと感性を失っていくことだなんて、誰も思いたくないはずなのに。
年を取ることは、どんどんと鈍感になっていくことだなんて、誰も信じたくないはずなのに。

人はみんな、昨日と今日と明日の区別もつかないような焼き増しのような日々を過ごしていることを、いったい誰のせいにして生きているのだろうか?
自分が見なければいけないと思っている景色だけを見る癖がついて、見なくていいものや見えてしまうものや見たいと心の底では願っている景色を、いつから見ずに生きるようになってしまったのだろうか?

この世界は、素晴らしいことで溢れかえっている。

あの本屋にズラッとならぶ本の数々。僕らはその全ての本を読むことなんて到底できずに死んでいく。そんなに早いスピードで本だって読めないし、新刊だってどんどんと出版される。
レコード屋に並ぶ音源たちだって一緒だ。僕らが死ぬまでの間に、全てのアーティストの全ての楽曲を聴くなんて、不可能だ。

なぜかというと、人にはそんなにたくさんの時間がないから。

もし君の趣味が読書だったとしよう。君の好きな読書でさえも、全ての本を貪り読むという点においては、もう残された人生の時間の中では、それは実現できない。

でもね、それは、悲しいことじゃなくって、君は一生退屈せずに生きていけるってことも意味していて、だからこそ、この世界は、素晴らしいことで溢れかえっていると思うんだ。


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ほら、結局、ロックが人を救うんじゃないか。 -映画- 『20世紀少年』

果てしなく遅ればせながら、映画版『20世紀少年』を観た。

Clipboard

なんだこの衝撃は…。
という感覚に久しぶりに襲われまして、自分の中での初期衝動が、ほんま久しぶりにムクリと起き上がりまして、それはそれは興奮してしまって。

夜も眠れないといいますか、歯軋りが止まらないといいますか、何かやらかしたくてウズウズするといいますか、そんな感覚に、襲われてしまったわけです。

映画のストーリーはもちろんのことだけども、やっぱり、T・レックスがね、20th Century Boyがね、マークボランがね、自分の中で眠りかけていたリビドーをギャーンとかき鳴らしてくれたわけです。

この映画、こんなにも素晴らしい映画やったのか。
観よう観ようと思いきや、観てこなかった自分を恥じる気持ちと共に、名作はいつ観ようが、変わらぬ衝撃を与えてくれるものだと再認識すると共に、夜半、暴れ出したい衝動を抑えるために、ひとまず、熱いお茶をすする。

茶柱ではなく、人差し指を立てながら。

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世界は恋人たちだけにひっそりと幸せも不幸も頒布する -書評- 『うたかたの日々』

夢見心地な気分で、うっとり、手放したくない幸せだけを掴んで離さず、そうやって、うたかたの日々を過ごす。

なんで幸せとは、手に入り難く、そして、いとも容易く壊れやすいのだろうか?
幸せを感じてその肌にその心に意識していたとしても、それが壊れることに怯えてしまうのだろうか。

じゃあ、幸せでない状態でないと、幸せに暮らして行けないじゃないか。

君、儚いと聞いて頭に描くイメージは、どんなもの?

なんで温かさに満ちた幸せな時間は、儚いなどと言われたり、うたかたの夢だと言われたり、そうして、たいていの場合、ほんとに泡のようにはじけ飛んで消えてしまう。

どうしてなのだろう。

君、散らない桜がイメージできるかい?
君、消えない花火がイメージできるかい?

満開に咲いて美の印象を残し散って行くから桜は儚くも美しいのだろうか。
真っ黒な夜空に人々の希望を乗せるかのように輝いて消えて行くからこそ花火は美しいのだろうか。

僕は、君の姿を、瞼の裏に焼き付けたりなんかしないで、泡のように消えることもなく、ただただそよ風に吹かれるように、どこまでもどこまでも流れて行きたいと願う。


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出現したその物語に「巻き込まれる」っていうのが、とても自然な感じ。-書評-『アヒルと鴨のコインロッカー』

非日常的なことは、ある日突然、訪れる。

これまでに何度もそんなことがあったはずで、もうそんなことはあるはずもないよ、と思ってみても、そんな瞬間は、ある日突然、思いもかけないタイミングで、訪れる。

みんな真新しい体験を望んでいるもんだから、だから敢えて、行ったことのない店に行ってみたり、いつも注文しているものと違うものを注文してみたり、いつもの道とは違う道で帰ってみたり、自分の中でのペースやバランスをちょっと崩してみて、いつもとは違うものに触れようとする、意識して。

でも、ほんとの非日常的な物語は、意識もしない、予感もしないときに、急に訪れる。

出会い頭から始まるそんな物語は、今までの自分じゃ対応できないもんだから、頭も心も体も使って全力で体験していく。だから、へとへと。だから、くたくた。だけど、気持ちいい。

生きてるって、そんなことだと思う。

そういうドラマチックでロマンチックなことを考えるとき、いつも、とある英文を思い出す。
「夏はもうすぐだね!」って言うときとかに使う英文で、その表現は、とても胸がドキドキする感じで、大好きだ。

Summer's just around the corner!

次はどんな「新しい物語」に巻き込まれるだろうか。
そこにはどんな新しい世界が広がっているだろうか。

待ってても来ない。追っても見つからない。それは、ある日突然、やってくるから。


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棘もあれば毒もあるし、劇物であるのに違いはないが、それでもついつい服用したくなる。-書評-『真実真正日記』

日々の生活を、たとえば徹底的に自虐的な目線で見てみたとしたら、なんとまあ、一分一秒が退屈しないわな。

退屈さえも自虐的に切り取ってみたとしたら、あらまあ、虚無もよし、退廃もよし、屈折もよし、停滞もよし、不運もよし、なにもかもが、自虐的の名のもとに、よしとされるわけである。

そしてさらに、自虐に笑いやらユーモアやらを加えたとするなら、あらまあ、それはもう、他人をも幸せにしてしまう。
うわあ、これはすごい、自分の自虐を謳うことで、他人を幸せにまでしてしまうなんて。
だってだって、自虐的な思考は決して人を傷つけないもんなあ。

しかし、そこにはひとつポイントがある。

自虐の妙味とは、そこに言われなき自信や自尊心が盛り込まれているからこそ、そのアンバランスさが、ユーモアとして映るんだろうと思う。

自虐は、自己否定とは似て否なる。
だから、おもしろい。

他人に忌避される自信や見栄をもって生きている人よりも、自ら潔く自虐できる人のほうが、よっぽど余裕があって、涼しげで、豊満だ。

そう、豊満。

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物心ついてから、棺桶に入るまで、ずっとこんなことを考えてしまうのだろう、人間。-書評- 『何者』

本当の自分なんて、もうどこにもいない。

自分が思う自分、他人が思う自分、他人が自分のことをこう思っているだろうと思ってそれを演じている自分、自分はこうあるべきだと思いこんでいる自分、自分はこんな風でありたいと願っている自分、自分は他人にこう望まれているんだと思い込んでいる自分、こんな自分は自分じゃないと思っている自分。

自分の思う、自分のイメージ。
他人が思う、自分のイメージ。

そのどれもが、自分であって、自分じゃない。
だからきっと、自分はどこまで行っても、何者にもなれないと、自分の輪郭を探すけれども、どこを探してみたって、それはきっと、見つからない。

物心ついてから、棺桶に入るまで、ずっとそんなことを考えてしまうのだろう、人間。

何者
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高校時代は人の上に人を作って人の下に人を作る、そして自分はいつだって、下じゃないか。-書評-『桐島、部活やめるってよ』

くっきりと芽生えた自我を、共に時間を過ごす同世代たちに、擦られ擦られ、時に磨耗したり、時におっきくなったりして、なんとも多彩で、なんとも鬱屈としていて、心の中が混沌としてしまう。

高校生活。

思い返せば「淡い」なんて表現されてしまうけれども、あの日あの時あの場所にいた自分たちは、何ともコントラストの強い渦の中に巻き込まれて、まるで、変化球の投げ方を知らない投手が、九回までずっと、一球入魂のストレートを投げ続けるかのように、もうヘロヘロ。

高校生活。

回避のできない悩みや、心の中に棲む憂鬱さが、日々そのランキングを入れ替え入れ替え、そのどれもこれもに答えを見出そうとして、わずかばかりの解答スペースに、大量の感情でもって、答案を書き込むような。

高校生活。

それはきっと、自分という存在の輪郭を、周りの人たちと比較しまくることで、必死に縁取りしていき、一喜一憂しながら、形作っていく期間。

それが、高校生活のような気がする。

子どもから脱却したフリをして、大人の仲間入りをしたフリをして、その実、フリりしかできていない自分に気づいて、自分はいったいどっちなんだ?他人が求める「自分像」はいったい何なんだ?それに応えなきゃ応えなきゃ、じゃないと自分が自分でいれなくなってしまう。

抱く感情、その一分一秒、どこを切り取ってみても、きっと美しい。
ハロー高校生活。

桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)
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手紙はチャーミングでいて、人の複雑な感情のミルフィールをひも解いてくれる、素敵な伝達手段。 -書評- 『三島由紀夫レター教室』

手紙って、何でこんなにも、チャーミングで素敵なんだ。

想いを綴るっていうことは、何でこんなにも、可憐で清々しい気持ちになるんだ。

ああ、手紙を書きたい。
手紙、書いて、投函して、想いを届けたい。

そうだそうだ、想いを伝えることに、便利さや手軽さや素早さなんて、ほんとは不要なんだな。

相手に伝えるって行為は、会って目を見て伝えることと、じっくりと想いを熟成させて伝える手紙、だけで充分なはずなんだ、きっと。

自分も含め、現代人よ、とても貴重な行為を置き去りにしてしまったね。
そして、とても貴重な手段を失ってしまったね。

自分の気持ちを自分の言葉と自分の表現で、相手に届けられる、心のこもった伝達手段。
それでいて、見栄や嘘、建前や強がりも、しっかりと盛り込める、心のこもった伝達手段。

総じてそれを、チャーミングな表現手段と呼ぼうじゃないか。

嗚呼、手紙、書きたい。


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やがてみんな大切な何かを失ってしまう。それならば今は、何ひとつ失わずに生きていたい。 -書評- その日のまえに

やがてみんな誰しもが、終わってしまうんだ。
今生きてるこの時間が過程だとしたら、誰しもに終焉は訪れるんだ。

だからといって、終わりたくないから、僕はまだまだ終わりたくないから、どんな惨めな格好でもいいから、できるだけ後悔のないように、できるだけ笑っていられるように。

そう思う。

いつかはきっと、何かを失くしてしまうだろうから、今あるこの時間や、大切な人の命、そして自分の命までをも。

そして、失うこと、それは決してその時間を選ばせてくれない。
目覚まし時計のアラームのように、むくりと起き出したい時間を設定して、そんな都合のいい具合にして、事が起こることなんて、決してない。

だから、いつまで続くか不明瞭なこの毎日の中で、僕は、どんな小さなことでも失うことを選択したくない。後悔することを選択したくない。何ひとつをも、無駄にしたくない。

そして知っている。

そんな気構えを持ってしたって、この中途半端な、人間という生き物は、日々何かを失い、後悔し、無駄にし続けるから。
だから、できなくたっていい。そんなカッコよくなくたっていい。そんな気持ちを持っているだけでいい。

本当に大切な何かを、失うことを告げられたとき、自ずと人は、その襟首を正すんじゃないだろうか。

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大阪モダンディスコ
常盤 英孝
自分史[プロフィール]

大阪のモノ書きでありWeb屋であり広告屋。

どうにかロクデモナイ売文稼業家としてメシを食っていける日を夢から現実に変えるべく、うぬぼれ一本で今日もくだらん文字を書き続ける日々。

大阪を盛り上げるべく、たくさんの人と出会い、とにかく"コトを起こす"ことをお酒の肴に呑んだり、わいわいやったり、時には本気で"コトを起こしたり"など。

日々、書き、描き、話し、モノづくりをしています。

モノ書きとして活動しながら、中小企業・個人事業主の方々のWebサイト制作のニーズを叶えるべく、そのお手伝いもしています。

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